松村 由利子


教科書は絶対と思つてゐた夏のしづかな教師の頸太かりき  

        池谷しげみ『二百箇の柚子』(2013年)

 

一読して、戦時中の「教科書は絶対」という記憶を苦々しく思う歌かと思ってしまうのだが、作者は戦後生まれの女性である。

戦時中に限らず、往々にして「教科書」というものは、正しいことが書いてあると考えられている。けれども、人間のつくるもので「絶対」というものはあり得ない。歴史の教科書などはその最たるものだろう。

あるとき、フランス語の histoire が「歴史」という定義のほかに、「身の上話、来歴、物語、話」という意味を含むことに気づき、深い感慨を抱いた。英語の history も改めて辞書をめくってみると、ちゃんと「経歴、由来、過去のこと、物語」などの意味があるのだった。つまり、歴史というものは、神の目から見たら唯一の事実があるのかもしれないが、現実には、ある国、ある時代の人々にとっての物語なのだ。相反する視点が複数あるのは当然であり、時代によって変化もする。

戦後生まれの作者ではあるが、「夏」という季節が提示されていることで、一首はどこか歴史教科書をイメージさせる。利発な少女が、教師の太い頸部をじっと見つめている様子が思い浮かぶ。そのまなざしには尊敬がこもっていたのだろうか、それとも、かすかな疑念が兆していたのだろうか。