「歌詠みに砂漠は合わぬ」簡潔に書かれし文にひとひこだわる

三井 修『砂の詩学』(1992年、雁書館)

 ※『三井修歌集』(砂子屋書房)に全篇収載

 

一昨日に記した『砂丘律』は千種創一さんの第一歌集でした。千種さんはかつて三井修さんの短歌の講義を受けたとのこと。『砂の詩学』は三井さんの第一歌集で、「砂」つながりながら両者の制作時期は対照的です。昭和末期前後と平成、インターネット普及前と後、9.11前と後。

また、『砂丘律』では「僕」のいる場所がわりと特定しにくいのに対し、『砂の詩学』では「われ」の来歴と土地名とがつよく結びついています。

個性の違いのほか、ネットの事情もあるでしょう。歌仲間とのワールドワイドなつながりが感じられれば、作歌において土地の個別性への意識は薄くなるのでは。

『砂の詩学』のあとがきによると、「バハレーンへ移住してからは歌友と交わることもなく」作歌を続けたそうです。掲出歌の「ひとひ」は、「ひとり」でもありました。

「歌詠みに砂漠は合わぬ」は評論の一節か、知人の手紙に書かれたさりげない感想だったのか、発言の重みのほどは知れませんが、受け手には重い問題提起でした。四季のうつろいなどの従来的な歌材がとぼしいことは、不利なのか。

 

砂原の昏きに生れ街の灯を渡りて昏きに風戻りゆく

 

和泉式部の〈くらきよりくらき道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月〉を反映するであろうこの歌は、ひとつの回答です。前例のない試みとは、単体であたらしいものをつくることではなく、複数の要素のあらたな関係をつくること(ここでは、日本の古典と外国の風土の)をいうのだと思います。