三井 修


ふららこという語を知りてふららこを親しく漕げば春の夕暮

大下一真『月食』(2011年、砂子屋書房)

 「ふららこ」は公園などによくある遊具のブランコの事である。詩歌では「鞦韆(しゅうせん)」という言い方をする時もある。「ふららこ」の語源について調べてみたが、「ぶらり」「ぶらん」のような擬態語説、ポルトガル語起源説などがあって、よくわからない。因みに、「ふららこ」は俳句では秋の季語らしい。

 作者はブランコを「ふららこ」ということを知った。その言葉を知ってブランコに乗ると、これまでブランコに乗った時とは違う気持ちになるのだ。乗っているものは同じなのに、別の名前を知ったとたんに気持ちが変わってくるのは不思議なことである。人の名前でも今まで付き合っていた人が、実はペンネームで、本名は別にあることを知ってから、少し違う気持ちになることがある。例えば、歌人の高野公彦は本名を日賀志康彦という。私は個人的には本名の方が好きだが、いずれにせよ「高野公彦」と「日賀志康彦」では印象が全く違う。高野さんだと思って付き合っていた人も、日賀志さんだと思うと少し態度も改まるかも知れない。

 「ブランコ」よりは「ふららこ」の方が響きが優しい。作者も「これは”ふららこ”というのだ」と思ったとたんに親しみが増したという。しかも春の夕暮という、」それでなくても優しさを誘うような季節・時間である。それにしても僧職にある作者が春の夕暮れにブランコにのっている姿を想像するとなんとも可笑しい。もちろん、トレードマークの作務衣を着てであろう。

 この歌集の間に作者は母を亡くした。

   母眠る部屋に掛けたる涅槃図に修羅泣く虫涕く未悟(みご)の弟子哭く

   新聞はここ二日ほど読まざりき母の通夜終え月食に遇う

   み棺に歌誌便箋と忘れずにパズル誌も入れお別れ申す