三井 修


〈神経は死んでいます〉と歯科医師は告げたりわれの初めての死を

沖ななも『白湯』(2015年、北冬舎)

 虫歯などを放置しておくと、歯の神経は沁みたり、傷んだりする。これは”早期に治療するように”という自らの警告である。それを更に放置しておくと、やがて歯の神経自体が菌に侵されて、弱って機能を喪失して、感覚を喪う。その状態を「神経が死んでいる」と表現する。上手い言い方をするものだと思う。作者は歯の治療を怠っていたのであろう。ようやく決意して歯科医院に行ったが、歯科医から「神経が死んでいます」と言われた。そこには”なぜもっと早く来なかったのですか”という軽い非難のニュアンスもあるのだろう。

 作者はその「死」という言葉に驚いた。人間は一度死ねば二度と死ぬことはないと思っていたが、そうではないことに驚いたのだ。人間は段階的に死んでいくということもあるのだ。そして、自分はその「初めての死を」告げられている。「脳死」という言葉もあるが、それも段階的な死の一つである。肉体は生きていて、脳だけが死んでいる状態である。それはまだ最終的な死ではないだけに、その時点での治療の打ち切りには種々の議論がある。

 歯科医から「神経は死んでいます」と告げられた時、作者はいずれ来るであろう自分の本当(最後)の死を思ったのかも知れない。そして、自分がいま、段階的に本当(最後)の死に向かっているとも思ったであろう。今自分は、その段階的な死の「初めての死」を迎えてしまっていることを。

 四句目が句割れになっている。四句目の途中の「告げたり」という歯科医師の行為で一旦文体は中断しているが、即座に「われの」と繋げて、意識は自分に回収されている。そして、結句で、歯科医師が言った言葉の意味を理解している。「死」というものの意味を改めて考えさせる一首である。

    フランスは外硬内柔イギリスは痩身湿潤パンのことなる

    フルネーム生年月日をうちあけて燃える血潮を採られておりぬ

    砂にある微量の鉄が磁気力に身も世もあらず魅かれゆけり