佐藤 弓生


錦玉糖ふたつ買いおく雨間[あまあい]の誰も来ないかもしれぬ土曜日

沖ななも『日和』

(2016年、北冬舎)

 

錦玉糖を知らなかったので検索したところ、寒天の透明感が涼しげな和菓子の写真がたくさん出てきました。七夕に食べたい、というキャッチコピーも。

お菓子の種類により、予定される来客の像が異なってきます。お孫さんならケーキやアイスクリーム、植木屋さんならおかき、など?

一概には言えませんが、錦玉糖だとわりと年齢の近い友人などかな、と想像します。〈ふたつ〉は2本ということかもしれませんが、いずれにせよ大勢ではなさそうです。

しかし、来ないかもと言っているので、とくに約束はしていないか、あるいは相手の体調によるということでしょうか。不確定であることを、作者は受け入れています。

受け入れるということが年をとるということかと、ふと思いました。

 

雨音のこころにしみるきのうきょう年とったなあと思うもおろか

 

深刻なうたいぶりではありません。むしろ〈きのうきょう〉〈思うもおろか〉の押韻やリズムのよさに注目します。冒頭の歌も、〈誰も来ないかも〉という口語調が作者にとってたいせつな部分なのではないでしょうか。

ことばそのものより、ことばをあつかう態度、その軽やかさに美を求めています。

昨日とりあげられた同著者の『白湯』と本書『日和』とは、上下巻の関係になるそうです。上巻でうたわれた母への追悼がやや遠のき、下巻ではひとりで過ごすことへの思いめぐらしが主になっています。

 

今日一日ひとつも嘘はつかざると思えりきょうは誰とも会わず