新春の空の深さをはかるべく連なる凧を沈めてゆきぬ

松村正直『午前3時を過ぎて』(2014年、六花書林)

 連凧というものがある。小さな凧を一本の糸に多数連ねたもので、上手に上がると見事である。大凧もそうであるが、この連凧も個人であげるというよりも、多数の人が協力して上げるのに適している。因みに、上げた枚数の世界記録は、1998年に豊橋市立五並中学校の生徒たちが上げた15,585枚で、ギネスにも登録された由である。

 一方で、海の深さを測るのには、現在は超音波、GPS,レーザー測定などの手段を用いるが、古典的には、ロープの先端に錘を付けて、海に垂らした。ロープには一定の間隔で印が付けられていて、その印が幾つ海中に没したかで凡その水心が簡単に測定できる。考えてみると、連凧とこの水深測定の方法は、非常に似ているように思える。糸(ロープ)に一定の間隔で凧(印)を付けて、その先端が行き着いたところで、凧(印)の数を数えれば、空(海)の「深さ」がわかるはずである。実際には、海底はともかく、空には行き着くところがなく、糸の長さ(取り付けた凧の数)か、その時の風の具合などでそれ以上は測れないのだが。

 作者は、正月の連凧を見て(或いは、作者自身がその中に参加して)、連凧と水深測定ロープの類似性、そしてその方向の真逆であることに気が付いた。そうだ、連凧というものは、空の深さを測るものなのだと思ったのである。このような指摘は、我々は言われて初めて気が付くことである。「生活の中のささやかな発見」という言い方がある。これは生活の中の発見ではあるが、決して「ささやか」ではない。もっと根源的な、世界の在り方そのものに関する発見のように思える。そして、本当の詩人は、生活の中から根源的な発見をしていくものである。

    感情にうすき膜張るゆうぐれは紙を数えて人には会わず

    店の壁にかかる手形の朱の色を付けし右手はこの世にあらず

    ベランダに鳴く秋の虫 夫婦とは互いに互いの喪主であること