栃の実を拾へる童子見張りをるけもののけはひ、紺青の時間[とき]

前 登志夫『青童子[せいどうじ]』

(1997年、短歌研究社)

 

一昨日にこの歌集のタイトルをふと挙げたので、全歌集をひらいてみました。2013年に同社より刊行された全集では、生前の著者の意向をくんで正字表記に変更されています。

司修さんによる初版の装幀は、とてもモダン。白い出窓の外の闇に銀河が浮かんで、ジョゼフ・コーネルのボックスアート風でもあり、奈良・吉野の風土や土俗性が前提とされがちな歌の解釈を、その枠外へ誘いだすかの涼しさをたたえています。

なお、あとがきに「今の世の中で歌を詠むのは、私にとって一つの悲壮をともなう作業であるが(中略)すべてはおだやかなユーモアに包まれて、歌の悪童もまどろんでいるようにみえる」とあり、出版年が案外あたらしい(阪神・淡路大震災などより後)ことに気づきました。

自己像であるらしい〈童子〉は、なるほど呑気そうです。そんな子どもの命を守るとも狙うともつかない〈けもの〉の気配が緊張をよび、と思いきや読点によるブレスが永遠性へと場面を解き放つ。動きの大きい歌です。

永遠性と書きましたが、なぜそう感じるのか。歌人の高柳蕗子さんは評論『雨よ、雪よ、風よ。』(北冬舎)において、短歌では青色と時間が結びつきやすいと述べています。

空や海の色はたしかに、無限に通じるものです。

栃の実を拾うという卑近な行為と世界の無限、いずれも作者にはひとしく現実だったでしょう。夢幻ではさらさらなく。

 

永遠の非時間のそら鳴きわたるほととぎす見ゆ銀河に映えて