光森裕樹


野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり

野口あや子『夏にふれる』(短歌研究社:2012年)


(☜4月14日(金)「人から見た自分 (9)」より続く)

 

◆ 人から見た自分 (10)

 

鏡を前にしているからであろうか、まるで映画やドラマのナレーションのように、自らの様子が客観的に描かれている。自身の名前から始まる出だしはもちろん、「極道」というおよそ歌では見かけない言葉の登場にも驚かされる一首だ。
 

人から自分がどう思われているかを知るのに、あだ名ほど分かり易いものはないだろう。大抵は陰口のなかで使われて、面と向かってあだ名で呼ばれることは少ないのかもしれない。永井祐にこんな一首があった。
 

本当に最悪なのは何だろう君がわたしをあだ名で呼んだ  永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

 

なるほど、親しい人からあだ名で呼ばれることほど、嫌なことはなさそうだ。
 

それでも、誤解されそうな言い方ではあるが、掲出歌においてはこの「極道」というあだ名が良い。これが、例えば「ヤクザ」などの実際の職業(?)を指す言葉では、あだ名が相手を単に悪く言うためのあだ名に留まってしまう。「極道」と呼ばれるまでにどのようなことがあったのかは分からない。しかし「極道」という呼び方には、その相手に人という範疇を越えた存在のような、触れがたさを感じていることが含まれているのではないだろうか。
 

その「極道」が乾く前の手で服やバッグを濡らさないように、予め取り出したハンカチを加えている。
 

うっかりハンカチを落としてしまわないように、きりりと結ばれた口元には、凛々しさが感じられるが、そのことが遠く「極道」と響き合っているようにも思えるし、あだ名で何と呼ばれようと気にすることない姿勢を表しているようにも思う。
 
 

(☞次回、4月19日(水)「人から見た自分 (11)」へと続く)