巻末の旅のひとことウイグル語「ありがとう(ラハメット)」を指し注文終えぬ

櫻井毬子「シルクロードの風」(「みたたんか」第二号:2017年)


(☜10月13日(金)「学生短歌会の歌 (25)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (26)

 

掲出歌はシルクロードを旅した連作から。ウイグル語を話す地方での食事の一場面だ。
 

今晩の宿のない朝トルファンの町は白くそして青く輝く

 

連作にはトルファンの地名が見られることから、新疆ウイグル自治区内にいるのではないかと思われる。
 

旅のガイドブックに付録としてまとめられた単語や会話集を指差しながら、見知らぬ食べ物をなんとか注文する。その最後に「ありがとう」の言葉を添えて。
 

食事を終えたあとでもないので、注文の最後に「ありがとう」と言う必要はないだろう。きっとそこには、たどたどしい注文を気長に待ってくれた店員へのお礼はもちろんのこと、旅そのものへの純粋な感謝の気持ちが込められているのではないか。
 

二句目から三句目の「旅のひとことウイグル語」という個所は、ガイドブック内にそのような名前のコーナーがあったように読めるし、「旅のひとこと/ウイグル語」と助詞が省略された形のようにも読める。いずれにせよ、どこか片言のように感じられて、それが異国の言葉でなんとかやり取りしようとする姿に繋がる。
 

――「繋がる」と言えば、学生、新疆ウイグル自治区、食事という関連から、私が大学生の頃(もう、15年以上も前のことか)に出会った次の一首を思い出した。
 

「ナイフ? 何故?」咯什(カシュガル)女性(ひと)ひとは紅き爪真っすぐに立てて白桃割りぬ  片柳香織 「傘の向こうの空」『京大短歌』12号(2001年)

 

カシュガル(新疆ウイグル自治区の都市名)出身の女性が、桃を食べるのにナイフなど要らないと、すっと割って見せる。こうやって食べるものだ、と。
 

桃という身近な食べ物に対する想像もしたことがない食べ方との出会いが、そのまま異文化との出会いを表している。「カシュガル」という硬質な響きと、目を引くマニキュアの色が、桃を割るという直接的な手段を強く印象づける。
 

シルクロードやウイグルをいつか旅してみたい。掲出歌をきっかけにそのような気持ちになった。
 
 

(☞次回、11月29日(水)「学生短歌会の歌 (27)」へと続く)