山中智恵子行きて負ふかなしみぞここ鳥髪とりかみに雪降るさらば明日も降りなむ

山中智恵子第三歌集『みずかありなむ』(1968年)


前回、スサノオの歌だったので、今日はこの歌をあげてみる。

「鳥髪」はスサノオが高天原を追われて、最初に降り立った土地だ。その土地が「ゆきて負ふかなしみ」の場所であり、現在、雪が降っている。だから、明日も降っているだろう。という。

 

さて、「鳥髪」は、スサノオが最初に降り立った「地」ということから、人間界とか現世、というふうに思って、さしつかえないと思う。人としてこの地に立ったもののつきることのないかなしみが詠われている。でも、それだけじゃなく、「鳥髪」という言葉が連れてくるイメージも見逃せない。もし、ここが「出雲」とか「鎌倉」とか違う土地の名であったなら、どうだったろうか。

 

だいたい「鳥髪」って、すごく怖いと思う。髪が生えた鳥を思うわけだ。その鋭い眼をした鳥の頭から生えた長い黒髪(自動的に黒い髪を私は連想する)が吹きすさぶ雪に吹かれるさまには、凄惨なケバさがある。そういうイメージが歌を鋭く、荒涼とさせ、降る雪と雪影が、「降る」のリフレインを通して、斜(しゃ)に走る白と黒の線になり、歌の画面に傷を掻き入れるように雪が降りしきる。

 

「さらば」は、「それならば」と解せ、「今、雪が降っている。それならば、明日も降るだろう」という、強引に理を通すところに翻って強い確信を感じさせる。
「さらば」はまた、「しからば」から来た、つまり、さようならの挨拶としての「さらば」を思わせる。どこか決然とした、潔さが「さらば」にはある。

 

そして「降りなむ」の「なむ」の推量もまた強い意志を感じさせ、今、雪が降っていて、だから雪は明日も降る。ということが確信であるだけでなく、この「なむ」は「明日」に挑んでいるのであり、「明日」に目が据えられている。

つまり、目を据える誰かがいる。

 

ここで、改めて注目したいのは、「行きて負ふかなしみぞここ」という出だしである。
ここには、どこかから来て、自分が「今、ここ」にいる。という強い意識が感じられる。
歌に、現在を呼び込む主観を見事に作動させている。
前回のスサノオの歌と同じく、この歌でも、「鳥髪」という神話の舞台に、「今」が「主観」のかたちをとって呼びこまれているのだ。

 

そして、歌の言葉が、定型を通し、そうした主観・意志のようなものを自動的に形作るべく、統一されていく姿がある。

「ここ」=「行きて負ふかなしみ」であり、
「ここ」=「鳥髪」、
「鳥髪」=「行きて負ふかなしみ」、
「行きて負うかなしみ」=「雪降るさらば明日も降りなむ」、

というように、どこもかしこもが各々硬く連結されており、
その連結が一つの主体を象るのである。

 

歌の主題もまた、

「行きて負ふかなしみ」であり、「ここ」であり、「鳥髪」であり、「今降っていて、明日も降るだろう雪」であり、そして、「ここに立つ一人の人間」であり、「全ての人間」である。

塚本邦雄は、山中のこの歌を含む九首について、「絶唱を超えるもの」と評していたが、
この歌にあるのは個人的かなしみではなく、人がこの世に立つことを突き詰めてゆくような孤高のかなしみであり、それを古代神話の舞台と歌の定型によって語らせるとき、大いなるカタルシスを得ることにもなる。

 

一首の背後に「超越的な主体」が、形作られている。

 

これは、山中智恵子の他の歌にも見られる顕著な特徴でもあり、これまでにも幾度となく指摘されてきた。「日々のクオリア」においても、
今井恵子は、

・さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて 『みずかありなむ』

という歌について、
「下句では、想像を遥かな宇宙に跳ばし、いうなれば神の視点から人(=われ)を思い描く。」今井恵子「日々のクオリア」2017年4月4日

と言っている。

また、石川美南は、

・わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも

・とどろける夕映の底に鳥らを鎮めたしかならざる手をひとに措く

・囀りはあかるき挫折 思ひより遠くひろがる鳥の浮彫(レリーフ) 『紡錘』

について、
「いずれの歌も、ひとりの人の思念をはるかに超えてゆくような、スケールの大きさが魅力である。」石川美南「日々のクオリア」2012年10月1日
と言っている。

 

言うなれば、古典的、古代的な詠いぶりをテコに、「超越的な主体のようなもの」を歌に呼び込むところに山中が「巫女」と呼ばれる所以もある。
そして、そのように歌の構造を十全に機能させた詠いぶりに、こちらは感嘆するほかない。

 

ただ、同時に一読者として、そのような歌の「完璧さ」を一度、疑ってみたくもなる。

主語を持たない歌の構造を、十全に機能させ、
歌の言葉から逆算的に浮上する「超越的な主体」のようなものの統一下に、
歌の言葉を預けることで、歌に個人を越えた絶対性を齎すことは、
見方を変えれば、「うた」というものに対してとても無抵抗な、そしてとても従順な行為でもあるのではないか。
個人がものを思うというとても地味な孤独さを、それは、手離すことでもある。

そうすることは、私には「うた」に魂を売ることと同義なのである。うたに魂を託す(売る)ことが歌人の至上目的と思っている人もきっとたくさんいると思うから、それの、なにがいけないと言われれば、私もよくわからないのだけど、
けれど、私は、個人がものを思うこと、いろんな人がそれぞれに「考える葦」であることをとても大事に思うところがあって、たとえば、戦争や震災というとても悲惨な状況のなかでも、自己を捨てずに考えてきた人がいて、そういう人たちの思考が積み重ねてきた細い歴史というものもあって、そういうさびしいほど小さな積み重ねを、無化し、ただちに古代を今に接続してしまうような歌のカタルシスというものに、私は大きな空虚を感じてしまうのだ。

そして、大事なことは、それは思想の問題ではないということだ。

山中智恵子は、昭和天皇崩御に際し、

・昭和天皇雨師(うし)としはふりひえびえとわがうちの天皇制ほろびたり 『夢之記』

と詠み、戦後短歌において最も痛烈な批評性を持った歌として高く評価されてもきた。

戦後の短歌の葛藤のなかで、前衛短歌などと並び、山中智恵子は彼女独自のやり方で、歌に思想性を盛り込むことを追求してきたことは周知の事実でもある。
そういう意味で、山中智恵子は、自身の作家性としては決して魂を売ってはいない。

そして、そういう彼女の言葉を超越的な主体に託すこと自体、作者である山中智恵子が掌握しているとも言えるわけだけど、
結果的にそこには大きな落とし穴があるのではないか。

読者の立場からは、そういうふうに思う視点も残しておきたいということだ。

 

「ゆく年くる年」と言うのは誰なのか、だれがそこに主語を与えるのか、
「ゆきて負ふかなしみぞここ」と言うのはだれなのか、
超越的な場所から、勝手にそんなことを言われて、ただ感嘆するばかりでは、
私自身が「考える葦」をやめることにもなってしまうのだった。