生沼義朗


わが佇つは時のきりぎし今生の桜ぞふぶく身をみそぐまで

上田三四二『鎮守』(短歌研究社・1989年)

※『鎮守』は『上田三四二全歌集』として短歌研究社の短歌研究文庫で文庫化されている


上田三四二(うえだ・みよじ)は、1989(平成元)年の1月8日、つまり平成最初の日に65歳でその生涯を閉じた。

 

第六歌集『鎮守』は上田三四二最後の歌集で、歿した年の4月に刊行された。1985(昭和60)年から1988(昭和63)年までの463首が収められる。1984(昭和59)年に上田は癌による大手術を受け、定命を悟ったとされている。

 

臓摘(と)りていのち生きえしひと年をおくると大き鐘の鳴りいづ
ことごとく日月はなごり元日の屠蘇も餅(もちひ)も別れをふくむ
髪そめてめぐりうつくしき五十代をみなのともは老ゆるをしらず
「当病平癒六十二歳」護摩の木は泪煮えつつ燃ゆるとおもへ
西北より雲おしうつり一角にのこる茜もひきしぼられぬ
一杯の茶にはじまりて一日の幾百の用妻が手に経(ふ)る

 

『鎮守』から数首を抄出したが、直接病を詠っていなくとも、どの歌のすみずみにまで濃密な死生観が漂っている。仮に作品の背景を知らないとしても、その緊張感に立ち止まらない読者はいないだろう。

 

掲出歌は、1986(昭和61)年の作品。今自分が立っている「時のきりぎし」という表現には、残されたわずかな時間を噛みしめる、生死の崖っぷちの認識と感慨が率直に滲む。今生はこの世の、あるいはこの世に生きている間のという言葉通りの意味だが、今見ている桜が最後の桜になるかもしれない覚悟をひしひしと感じる。吹雪いている桜は心象風景とも読むことができるが、ここはやはり実景と読みたい。「身をみそぐまで」にも、吹雪く桜の花にこの病身をいっそ洗いきよめてほしい希求がこめられている。淡々と述べているが、この希求は実に切なく、また重い。

 

この歌に暗喩はまったく用いられておらず、眼の前の景色と現実をありのままに描いているのに、普遍性と象徴性が限りなく高い。それでいて上田三四二固有の生を感じるのは、その生の一回性と、肉体の一身性ゆえに他ならない。

 

上田三四二が歿して今年でちょうど三十年。「歌壇は死者に冷たい」と言ったのは佐佐木幸綱だが、たしかに時間の経過とともに死者が物凄いスピードで追いやられてしまう印象は拭えない。特に上田三四二はあまり大きな結社に属さず、しかも五十歳代以降は無所属であったためいわゆる門人や弟子筋も少なく、語れる人があまりいないという事情もあるだろう。だがそれでも、歿してしばらく経ってしまった歌人の人物像や作品が語られなくなってしまうのは死者の責任ではない。残されたものの責任である。

 

「平成最後の…」というフレーズをメディアでよく見かけるようになった。あまり好きなフレーズではないのだが、平成最後の年の年頭に、今では語られることの少なくなってしまった上田三四二の作品を振り返るのも意味のあることだと思う。

 

さて、今年は桜はどのような表情を見せるだろうか。