生沼義朗


竹山広/コマーシャルのあひだに遠く遅れたるこのランナーの長きこの先

竹山広『空の空』(砂子屋書房・2007年)


 

コマーシャルははっきり言ってしまえば中継するメディア側の都合であり、中継を見ている(ラジオなら聴いている)側は否応なく付き合わされることになる。もちろん、コマーシャルの間も競技はどんどん進む。コマーシャルが終わって中継が再開されたとき、おそらく先頭集団から一人のランナーが遅れていた。テレビ画面に映っている先頭ランナーではなく、遠く遅れたことで既に画面からは消えてしまったランナーの「長きこの先」に思いを馳せる。その視線には、やさしさと冷静さが共存している。

 

完全に余談だが、昨年(2018年)の箱根駅伝で、コマーシャルの間ではなかったが、スタート直後から学生連合選抜チームの選手がみるみる遅れてゆくのを見た。学生連合選抜とは、予選会で敗れた大学から優れたタイムの選手たちを選んで構成されるチームで、監督は予選会で落選したうち最上位の大学の監督が務めるのが通例である。実況によれば、それでもその選手としては自己ベストを上回るペースだったそうだが、他の選手らとは1区のトータルタイムでは1分以上遅かった。ちなみにその選手は、自分の出身高校の系列大学としては初の箱根駅伝出場者だったこともあり、妙に身につまされてしまった。

 

今年(2019年)の箱根駅伝でも、見ていた方も多いかもしれないが、スタート直後に大東文化大学の選手が集団の中で日体大の選手の足を踏み転倒していた。起き上がって脚を引きずりながら、1区の約20㎞を完走したが、順位は最下位でトップと8分以上の差がついてしまった。もちろん、誰が悪いとか気の毒とかを言うつもりはない。一方で、誰にだって不可抗力のアクシデント、あるいは同世代なのにどう足掻いてもかなわない、こうも格が違うのかと愕然としてしまうようなことは人生に幾度もあるはずだ。竹山の視線は、こうした摂理というか一種の不条理をも内包している。

 

掲出歌に戻ると、四句と結句でリフレインされる「この」は、歌の調子を整え、必要以上に叙情に流れないようにする効果がある。同時に「この」には、世の不条理を思わず確かめているような、己の感慨を噛みしめるような手触りがあって味わい深い。

 

さらに一首の奥にある、静かだが人間に対する暖かさを含んだまなざしは竹山ならではのもので、この暖かさが掲出歌を忘れがたいものにしている。

 

ゆえにテレビでマラソンや駅伝中継を見るたびに、自分はこの一首を思い浮かべるのである。