生沼義朗


翔ばむといふ夢ならず歩まむ願ひもて歩きゐる夢くりかへし見る

蒔田さくら子『サイネリア考』(砂子屋書房・2006年)


 

 

蒔田さくら子の『サイネリア考』は第九歌集。2000年から2006年までの作品三百余首を収める。掲出歌は「腕力」一連13首の7首目。大腿骨を骨折した際をめぐる歌の一連で、掲出歌以外にも次のような歌で構成されている。

 

とんと背中を押されしごとく滑りたる雨の路上に足たたずけり
ドリルもて穿たれてゐるわが骨に耐ふる力あり悦びとせむ
えいと廻せばぐいと向き変ふ車椅子老いても闘ふ腕力は要る
杖持つは病まざる足の方(はう)の手と教へられたり知らざりにけり
群れず独りの速度保ちて続け来し歩みゆゑ足強くなりゐき
足年齢五十代とぞ云はれけるわが老いは脳(なづき)より降りくるか
ほんの弾みで折れたる骨と医師云へりほんの弾みで狂ふ生もある

 

一連のすべての歌を引くことはしなかったが、連作の構成的にも意味内容的にもどの歌も必要不可欠であり、連作として過不足がない。掲出歌は、翔ぼうという夢は見ず、歩く願いを持って歩いている夢を繰り返し見る意味内容が思考の流れに忠実に語られる。そのうねりを含んだ文体とリズムには不如意と葛藤が滲む。他の歌は比較的簡潔に事象を述べているが、掲出歌はその意味で、一連では異色とも言える。

 

シネラリアその名を忌みてサイネリアと呼びかへにけり大和ごころは
チアノーゼ色となりたる成れの果ておめおめとまだあぢさゐである
カモミール香にたつ蝋の火をともし鎮めむとする超えなむとする
アンネ・フランク同年なりき 半世紀余を戦(いくさ)なき国に生きてわれ在り
陽に透きてステンドグラスは鮮血のしたたりの色 など救はれむ
運命を嘆かざるもの草追ひて地を舐むるごと動く黄牛(あめうし)

 

『サイネリア考』の他の歌から抄いた。蒔田の歌の特徴は、なんといっても立ち姿の美しさだ。蒔田本人もひとことで言えばかっこいい人で、ネガティブな発言を聞いた記憶がほとんどないが、歌も背筋の伸びた所作美しい印象をあざやかに読者に残す。

 

方法としては、眼前の事物を精緻な描写力で詠み上げ、同時にその奥にある真理や摂理も掬い取る。さらに作者の人生経験が加わることで、作品に死生観が色濃く投影される。この特徴自体はいわゆる写生写実の方法論と共通するが、蒔田の歌が写生歌にとどまらないのは、常に自分自身に対する問いとそれに付随する感慨を含むからである。

 

挙げた歌はいずれも事実を見つめながらそこに溺れることなく、かといって達観も諦観もしない。別の言い方をすれば、安易に結論を出さない。若年者であればここで韜晦に走るところだが、もちろんそれもない。ゆえに、歌に湿りやいわゆる道歌的な理屈っぽさがなく、むしろ自在さが加わることで実に靱く鋭い、かつしなやかな歌となる。

 

生きるという難問に対する自問自答が絶妙のバランスを保って一首に収められているところが、蒔田の歌の最大の魅力である。