生沼義朗


浜田蝶二郎/かうするつもりだつたが結局かうなつた 長き一生(ひとよ)を要約すれば

浜田蝶二郎『わたし居なくなれ』(角川書店・2003年)


 

浜田蝶二郎は1919(大正8)年生まれ。「相模野」「創作」を経て、1952(昭和27)年「醍醐」に入会し、松岡貞総に師事した。「醍醐」の編集委員長を長く務め、2002(平成14)年2月26日に亡くなっている。ちなみに今年で生誕100年である。『わたし居なくなれ』は歿した翌年に出された遺歌集で、タイトルは本人が生前につけたものだ。

 

すべて途中 ジャコメッティの彫像のごと痩せ痩せて動く一身
身体は一つあればよく岐れてる腕は二本より多くは要(い)らない
自分の知る自分などほんの僅かだと知りをりトックリセーターまとひ
わたくしを濃くすれば不安も濃くなりてどうしても神を感じてしまふ
いつかからだは流れ出すものそを引き締め立体となす線美しき
わたし死んでゐなくなつたと感じたらそれはわたしがまだゐることだ
どんなに辿つてもわたしに行きつけないだらう辿りつくところすぐ変化するだらう

 

 

『わたし居なくなれ』から何首か抄いたが、浜田の歌の特徴は徹底した自分自身への問いである。短歌における〈私〉への問いは、一般的にはアイデンティティーの足場固めの側面が強いが、若者がアイデンティティーを模索するための問いとは次元の異なる、遙かに存在論に根ざした問いである。

 

〈私〉について考える歌人は多いが、〈私〉がどこから来てどこへ行くのかを、時間や空間あるいは宇宙をからめ、哲学や精神医学までをも援用しながら考え続けた浜田は、その文体も含めてやはり短歌では異色の存在と言っていい。

 

掲出歌は意味内容的にわからないところはない。誰にでもある理想と現実のギャップを飄々と描く。とぼけた味わいもあるがあくまで副産物であって、浜田の本意とするところではないだろう。表現も思考の痕跡もシンプルに差し出したい意識を強く感じる。

 

興味深いのは、ひたすら問いの痕跡を短歌形式に刻みつけていながら、短歌が箴言化するのを回避していることだ。歌自体は些事を詠む傾向が比較的強い。かといって歌自体が何かの喩になっているわけでもない。そもそも、写生重視か暗喩による象徴技法かの二分法に浜田は興味がないだろう。存在論的な問いを身体感覚のなかに溶け込ませている。

 

認識に基づく歌という意味では、2月19日2月21日に取り上げた奥村晃作と似通う部分もあるが、奥村はミクロの視点からマクロの認識におよぶのに対し、浜田は視点も認識もマクロから入る違いがある。また、奥村に見られるすっとぼけた凄みや破壊力は見られない。第一、ただごと歌への志向は浜田にはなく、ただごと歌とは異なる自在の境地に達している。

 

もうひとつ特徴的なのは、浜田の後半生の歌は死への怖れや嘆きを詠んだものがほとんどなく、自らの存在の消滅を必然としてむしろ歓迎していることである。これも従来の境涯詠と大きく異なる。

 

時間はたしかに現実に存在するものだが、それを計測することで時間の存在を意識するのは人間にしかできない。したがって、〈私〉がいなければ時間の概念は存在しないとも言える。しかも、人間の持つ身体は長い時間の中でははかない存在である。

 

問いの答えがなかなか出ないことは浜田もわかりきっていただろう。それでも問い続けた、問い続けずにはいられなかったことがすなわち浜田の歌業と言える。