髙瀬一誌/体(からだ)がこわれたという こわれたあとのつくり方あり

髙瀬一誌『火ダルマ』(砂子屋書房・2002年)
※『火ダルマ』は、『髙瀬一誌全歌集』(六花書林・2015年)に収載されている。


 

髙瀬一誌の歌を論じるのは難しい。

 

ほぼすべての歌でなされている減音、および減音によって起こる韻律の脱臼は誰でもわかることで、したがって必ずといっていいくらい指摘されることだが、効果はともかく、理由を解明することはなかなか難しい。

 

自分で考えたなりに述べてみると、髙瀬の歌の減音は基本的に三音か四音、あるいは五音単位でなされているが、短歌の韻律としてぎりぎり認識されうる範囲を保っている。この点で自由律とは明確に異なる。そもそも俳句の自由律が減音傾向に向かうのに対し、短歌の自由律は増音傾向にあるので、髙瀬はその意味でも自由律とは真逆を行っている。また、髙瀬は口語と文語の間を縫うような文体と韻律を選択しているので、新短歌と呼ばれる口語自由律短歌ともまったく違う。

 

 

のけぞるかたちの木一本ぞいま月光はほしいままなる  『喝采』
胃の部分洗わんと黒ビール一本を買うことの言いわけ
魚には恥部なきやシオふりかけられてもされるままなる

 

 

第一歌集『喝采』の刊行は1982(昭和57)年で、このとき髙瀬は52歳。既に独自の文体を確立していたのは言うまでもない。

 

 

死の意味はうつくしきなど云ひしときこころにかなしくあひふれしひと  1951(昭和26)年
粉飾が多きことばを吐きながら日々かなしみの何に重なる  1955(昭和30)年
都電のレール深夜歩く男手重いか手垂れて近づく  1957(昭和32)年
上を見るより仕方ない鳥よ 人間より錯誤深いのか  1958(昭和33)年

 

 

遡ってみると、『髙瀬一誌全歌集』の「初期歌篇」には、1950(昭和25)年から1981(昭和56)年までの作品のうち吉岡生夫(吉の字は正確には土の下に口)が選出した657首が収められているが、1958(昭和33)年頃までには徐々に『喝采』の文体に近いものとなってきていることがわかる。

 

髙瀬の文体を「発明」と評したのは小池光だが、ではなぜそうした文体を開拓していったのか。いわゆる五七調や七五調の韻律を小野十三郎は「奴隷の韻律」と呼び、奥野健男は「思考停止の呪文」と言った。つまり五音と七音の繰り返しには、人をうっとりとさせてしまう効果がある。まったくの推測になるが、髙瀬は韻律を脱臼させることで思考停止に陥るのを防ごうとしたのではないか。

 

事物を見る眼の点では初期歌篇から晩年の作品まで一貫するものがあり、ニヒルというか濃厚な死生観が漂う。表現的には、年齢を重ねるにつれて死生観が前面に出ることは少なくなるが、その分一首の背後に濃密に漂うようになる。その死生観が、韻律を脱臼させた独自の文体と十全かつ複雑に絡みあい、髙瀬独特の作品世界を構築している。

 

 

つまりそういうことか体(からだ)のゼンマイを巻いてもらえばいいのだな
死ぬまでは収まりがたし手足ばらばらかかえてねむる
くたくたになったのではない棒のごときからだになったらしい

 

 

『火ダルマ』は遺歌集で、1996(平成8)年から2001(平成13)年までの7百余首が収められている。先の死生観の観点で言えば、自身の身体を通して人間の身体を詠んだ歌に眼が行くのは遺歌集だからだろうか。

 

掲出歌は、音数が四七七七で三句が欠落している。三句欠落はもはや髙瀬の専売特許と言って差し支えない文体的特徴だが、この歌は特に文体がシンプルで思考や言いたいことが端的に読者へ提示されている。だがむしろ、意味内容の重みは増す。「体がこわれたという」と淡々と描いているが、自分にせよ他者にせよ人間の一大事だ。

 

「という」には伝聞のニュアンスが入るが、身体に不調をきたしてから病として正式に認識するまでのタイムラグがよく表れている。「こわれたあとのつくり方」は医学の発達と読んでもいいが、輪廻転生とも読める。ここは読者が各自の解釈でよく、一首一首の歌の中に人間や生命や社会に対する問いが含まれている。そして、その問いを髙瀬自身も考えに考え抜いているのはもちろんだが、作品を読んだ読者にも考えさせ得る力を持っているのが髙瀬の歌の特徴だ。

 

髙瀬は一定のモチーフを繰り返し歌へと詠んでいるように感じる。特定のモチーフにしか興味がないのではもちろんなく、作品化の際に意識的に絞っている。瞥見に過ぎないが、「石」「牛乳」「コップ」「首」「酢」「魚」「自転車」「シャワー」などが比較的頻出するように思える。実際に数えたわけではないので多分に感覚的発言だが、機会があれば統計を取ってみたい。

 

主張を声高に述べないのも髙瀬作品の特徴だ。モチーフとしての政治家はよく登場するが、政治的イデオロギーと結びつけられることはない。

 

髙瀬の歌をリアリズムで読み解くことは難しいが、作品からは極めて強い現実の手触りを感じる。紛れもなく、現実と格闘して得られたモチーフであり抒情だからである。繰り返しになるが、現実との格闘から産まれた髙瀬の歌には人間や生命や社会に対する問いがある。読者がその問いを自分なりに考えることこそが、すなわち髙瀬一誌の作品を読むことなのだ。