花山周子


上條素山/さやさやと生存圏を拡げつつ浮かぶや宙に愛のピカチュウ

上條素山「外大短歌第7号」(2016年)


 

前回に続けて「さやさやと生存圏を拡げつつ浮かぶや宙に愛のピカチュウ」の歌について書くのは、この歌の置かれる連作も見てみたいからで、この歌を含む十首の連作「愛のピカチュウ」は、当初、私にはぴんとこない歌も多かったんだけど、今読むと、ぴんとこなかったのが不思議で、いずれもとても面白い。また、「ピカチュウ」の歌だけではわからないけど、この連作では旧仮名が遣われている。

 

1 にんげんは鹿と共存できてゐる河童と生きるそれもできてゐる
2 満月を封じ込めたるつくばひに飛び込まむとす河童のわれは
3 河童橋を渡れば河童の国と聞くきよき河童は河童を食らふ
4 ほほゑみがとぐろを巻いて落ちてゐる鋼のごとき繭のほほゑみ
5 問ふものに幸せ来たらず繭になるいつか孵化する孵化するはずで
6 幾つもの顔が消え顔の精神も消えてしまつていま松の中
7 塗壁のやうに歴史を眺めきし森永ミルクキャラメルの箱
8 死者の箱は箪笥の奥にジャンパーに森永ミルクキャラメルの箱
9 月ぽつんありて胸までズッキュンと真夏に夜を撃ち抜かれをり
10  さやさやと生存圏を拡げつつ浮かぶや宙に愛のピカチュウ

 

一首目の「にんげんは鹿と共存できてゐる」と言ったあとに、「共存」を言い直すように「河童と生きる」、そして、「それもできてゐる」と丁寧に繰り返す。思考の隙を作らない文体で、共存できていない、生きられていない可能性を塗りつぶすように「できてゐる」をダメ押しするところに怖さがあり、強い感情がある。二首目は「河童のわれは」とあり、作者が少なくとも精神的には河童の側に所属していることがわかる。「満月を封じ込めたるつくばひ」は、月が映った水面であり、満月はここに平面としてあるけれど、「飛び込む」ときには、平面世界は壊れるはずだ。この二首目はやや単純明快すぎるかもしれないが、そのために却って心打たれる。「つくばひ」、「河童」もそうだが、六首目の、

 

幾つもの顔が消え顔の精神も消えてしまつていま松の中

 

この「松の中」も特徴的で、浮世絵(古い平面世界)の「松」なんかが思い出されるわけだが、敢えて古いアイテムをこの連作の言語空間に投入するところに、作者の強いメタ性があるように思う。これは、連作が旧仮名遣いであることも同様で、いったん、この連作空間において、「河童」や「松」や「旧仮名」を平面世界の支配下に置くことで逆照射されるそれらの姿があるように思う。世界に対する人間のエゴイズムがモノを平面化し、あたかも共存しているかのような幻想の中に人自身が生きているとすれば、「愛のピカチュウ」の連作は、短歌という詩形においてまずはこれを再現・体現しているということができる。そこでは人もまた平面化する。「幾つもの顔が消え顔の精神も消え」に、前回のアニメの話を当てはめるのであれば、漫画家の個性や精神が作り出していた造形から、そのクセ(顔や精神)が剥奪され、新たに設定としての髪型や服装があてがわれたのっぺらぼうの「顔」、というふうに読めるし、それはそのまま人間のこととしても読めるわけで、「いま松の中」は、松林の中なのか、松の木の内側ということなのか、というような実地的なものを描かない、つまり極端に単純化された世界のなかに、いま、いるということ。もちろんこの歌をどのように読むかは確定できないけれども、少なくとも「顔の精神も消え」という表現は見たことがないし、とても思索的なものがあり、また、こうした思索的な作品の中での「いま松の中」という極端にシンプルな記号が結句に挿入されるところに特異な志向を嗅ぎ取ることは容易だと思う。

 

力尽きてきたので、それに既に相当くどくなっているので全部の歌に触れることはしないが、ともかくも次のこの一首で連作世界が反転するように思う。ここまでの歌というのは作者のコンセプトがわりと正直に語られていて、格闘の軌跡が見える。河童の側に心を置いて戦っている戦士の姿が見える。そして、

 

月ぽつんありて胸までズッキュンと真夏に夜を撃ち抜かれをり

 

戦士は倒れてしまう。
「月ぽつんありて」は短歌的なもの言いで、でも「ぽつんありて」はちょっと言葉足らずで、さびしく、戦士が最後に見た風景を思わせる。そして、「胸までズッキュンと」という、一気にアニメ的な攻撃に打ち殺される。世界が反転した。「ズッキュン」という表現は見事で、矢や銃弾というよりも、それを比喩的に心を奪われる瞬間として使用するアニメの常套表現である。戦士が倒れたのち、仰向けに倒れた彼の目に映ったものが、

 

さやさやと生存圏を拡げつつ浮かぶや宙に愛のピカチュウ

 

そして、この連作タイトルは、「河童」などでなく、この最後の一首にはじめて登場した「愛のピカチュウ」なのだ。

 

ちょっとこれまでに見たことのない、すごい連作なのである。