生沼義朗


三國玲子/ハルシオン二錠掌(て)にあり映像は今日の敗者をいつまでも追ふ

三國玲子『翡翠のひかり』(短歌新聞社・1988年)


 

三國玲子は1924(大正13)年東京生まれ。勤務先にあった短歌会の講師の鹿児島寿蔵(かごしま・じゅぞう)と出会い、鹿児島が創刊主宰した「潮汐」に入会。鹿児島は当時「アララギ」の選者だったこともあり、「アララギ」や関東アララギ会誌の「新泉」にも所属した。1982(昭和57)年に鹿児島寿蔵が歿したため「潮汐」は終刊。翌年に後継誌のひとつ「求青」の創刊に参加し、編集責任者となった。

 

三國が第1歌集『空を指す枝』を上梓した1954(昭和29)年は中城ふみ子や寺山修司らが登場した時期で、反写実の機運が盛り上がりはじめた頃でもあった。その比較の意味からもアララギ系の気鋭女性歌人として早くから知られ、同世代の馬場あき子、大西民子、富小路禎子、北沢郁子らとともに歌壇の第一線で長く活躍した。後に鬱病を病み、1987(昭和62)年8月5日に入院中の病院の窓から飛び降りて自殺した。享年63。

 

 

たぐりゆく古代はいよよ解きがたし夜空仄かにしろがねの富士
壮齢のメタセコイアのつばらなる緑浴みつつ旅終るべし
若き日に賜びし言葉の胸に充ち頭上帰天の鐘ひびくなり
心急(せ)く会ひなりしかな木犀は滅びにむかふ香のいまだ濃く
何がどの臓器を癒やすのか白・緑・オレンジまた青・白二分けの薬
救急車のサイレン止みし一瞬に搬ばれて来し精神(こころ)を思ふ

 

 

『翡翠のひかり』は三國の第7歌集であり、遺歌集となる。前歌集『鏡壁』(不識書院)から2年足らずということもあって収録歌数は284首とやや少なめだ。ほぼ制作順に編成され、前半が『鏡壁』と時期的に重なり、後半が『鏡壁』以後の作品である。

 

前半は旅先や日常の嘱目から思考を深めてゆく歌が多い。たとえば1首目は旅行で訪れた地から見た富士から古代へと思索の枝を伸ばす。1首目や2首目は眼の前の景色から自分が存在していない時間や空間への意識が見られるのが特徴である。

 

後半になると、病を得た自身の周辺を描くことで内部に錘を下ろす歌が多くなる。3首目以降がそうした歌であり、年齢や病気もあって「頭上帰天の鐘ひびくなり」や「滅びにむかふ香」などの措辞に死のイメージが濃厚に滲む。5首目の色とりどりの薬にリアリティが宿り、6首目の救急車のサイレンが止んだ一瞬の間に救急搬送されてきた患者の精神に思いを馳せる創造力と思索の確かさが歌に確固たる肉体をあたえている。

 

掲出歌も歌集後半の歌で、ハルシオンは睡眠導入剤の商品名。上句は自分の掌にズームアップしてからいったんカットが切れ、下句はテレビで流れている「今日の敗者をいつまでも追ふ」映像に転換される。上句と下句に直接の因果関係はないが、掌に乗った2錠のハルシオンが、いつまでも敗者を撮り続けている映像に結果的に注目させていることは間違いない。連想というより、上句の現実と下句の情景がシンクロしている。「今日の敗者」が具体的にどのような性質のものかは描かれないが、これは読者がおのおの想像すればいい。「二錠」や「今日の」といった具体も臨場感を高めている。

 

アララギの堅実な写実技法を基盤に眼の前の景色を描きつつ、都市生活者の不安や鬱屈が滲む。どの歌も非常に映像的ながら、その奥に知的な思索が光る。表現は抑制を効かせながらも内面の深淵を感じさせるのは、青春時代と戦争が重なった世代に共通するものだろう。

 

三國玲子は生前の活躍ぶりから考えると、今では驚くほど語られない歌人のひとりとなってしまった。たとえば高野公彦編『現代の短歌』(講談社学術文庫)、小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』『現代の歌人140』(ともに新書館)、東直子・佐藤弓生・千葉聡編著『短歌タイムカプセル』(書肆侃侃房)などのアンソロジーを繙いてもどれにも三國玲子は入っていない。これは死の経緯が影響しているのか、著作権継承者の承諾が得られなかったためか、あるいは単に忘れ去られているのかははっきりしないが、いずれにしても残念なことである。1月8日の上田三四二や4月4日の木俣修の項目でも述べたことだが、物故した歌人の顕彰をどのようにしてゆくかは、もう少し歌壇全体で論じられて然るべき問題だと考えている。