星座を結ぶ線みたいだよ 弟の名前を呼んで白髪を抜けり

平岡直子『早稲田短歌』39号

 

 架空の白い線で結ばれていないと、恒星と恒星とは星座には見えない。真っ黒い夜空を背景にあれがカシオペア、あれが北斗七星などと思うとき、脳裏には架空の白い線が引かれている。プラネタリウムなどを想像してもよい。景をとるのはたやすい。任意の点と点とをむすぶ白い線が、弟のまだ黒い頭にもふと見付かった。名前を呼ぶとき、その名前はもはやひとりの弟の名前というより、弟という星座、ないしは宇宙を総称する名前になっているのだろう。

 しかし呼んでいるのはもしかすると弟の名前だけで、星座を結ぶ云々は発話のような見かけをしていながら、弟に向けて発されてはいないのかも知れない。あるいは弟に向けて、名前を呼び、白髪を抜いたあとでそう発話しても、すぐに意味を理解してくれるか、その詩情を共有してくれるかは別問題である。もし宣言なしに名前を呼ばれただけで白髪を抜かれたら少し痛いだろうし、当惑もするだろう。宣言されて抜かれたとしても、白髪が星座を結ぶあの白い架空の線に見えるかどうかはわからない。それを理由に白髪を抜いたのだと言われたとして、その宇宙的な飛躍を理由として受け止められるかどうかも難しいところである。景をとりやすい、容易に共感できそうな一首でありながら、そこにはもしかすると二人のあいだにはその共感が成立していないかも知れないという、ディスコミュニケーションの萌芽が横たわっている。弟と〈われ〉の間を結ぶのもまた、星と星とを恣意的に結び付けている白い線のような、架空のつながりに過ぎないのかも知れない。