咽喉ふかくうるほしうるほし生きてゆく目白も日雀も四十雀はも

滝下恵子 「短歌往来」3月号第32巻第3号 2020年

日脚が日に日にながくなり、夜明けも早くなった。明るくなった空にツッピ、ツッピとかわいらしい声が鳴き交わしている。小鳥はこの世界でもっとも美しい生き物とどこかの詩人が書いていた。そのとおりだ。

小鳥たちが雨上がりの水たまりに降りてきて咽喉を潤しているのだろうか。ほそい嘴を水面にさしこんで器用に水を掬い上げては、なんども水を転がすように呑んでいる。脚元で透きとおる水のしぶきが跳ね上がっているのが目に見えるようだ。みんなちいさな体で懸命にその命を繋いでいる。その命をはぐくむ水のかがやき。
この歌では〈いのち〉ということをまっすぐに見つめている。生きることは、咽喉を潤すこと。何度も何度もくりかえし水をすくい咽喉をふかく潤しながら、生きてゆくのだよ、と自分に言い聞かせるようにやさしくリフレインがひびく。ここから意識は内向せずに、外の光へむかう。その先に現れるのは目白や日雀、そして四十雀。小鳥たちの名前が次々と弾むように並べられるのも耳に心地よい。本来、名前のないものに名をつけたのは恣意的な人の行為なのだが、名付けることで、わたしたちは初めてその対象と出会うのかもしれない。おろかな私たちは、印をいれて、区別することでやっと世界がこんなに豊かであることに気づくことができる。

ここでは、小鳥たちの一羽一羽の名が呼ばれ、読むものの前にその存在がさしだされる。美しくて壊れやすくて、切ない命。水を飲む小鳥の姿はどこか聖なる気配があり、作者はこの世のすべての生きとし生けるものを愛しみ、祝福をする。

短歌という定型に、ありがちな主張や自分の心理を押し込もうとせず、ただ小鳥たちのすがたを簡潔に、そして深い情感によって描写することでこの世にあること喜びを、そして悲しみをつつましく歌っている。おおくを言わないことに読むものの心は慰藉を感じるのだろう。