手をとられなくてもできて鳩それももう瞠きつぱなしの鳩を

平井 弘『顔をあげる』以後(引用は『現代短歌大系11』三一書房、1973年による)

 鳩を殺める。そうした体験をしなくて済んだ時代を嘉みするべきなのか。「男の子」の当たり前の成長過程のひとつとして「かしてごらんぼくが殺してあげる」することが挙げられる、そのことがまだなんとなく理解できる田舎育ちの身にも、鳩という大きさと存在感をもった生き物を殺める仕草はボディブローのように衝撃を与える。

恐らくは首を絞められた鳩はカッと目を見開く。見開いたまま死んでゆく。殺した鳩はどうなるのだろうか。食べられるのか、打ち捨てられるのか。その後はなにも描かれない。ただ鳩の死してなお見開いた眼だけが読後の心に古傷のように残り続ける。