町をゆくすべての人は使者として夏の日暮れを音もなくゆく

阪森郁代 『歳月の気化』角川書店・2016年

 

日に日に秋が深まってゆく。最近は日が落ちるのが早くてふっと寂しさに誘われる。

〈昨日は夏だった、今はもう秋!〉 こんなボードレールの詩が降ってきそう。

 

夏の日暮れはいつまでも明るいので、町をゆきかう人の姿もどことなくゆったりと歩いているように見える。夏のくれなずむ空の清澄なうすむらさき色がそんな気分を醸し出すのかもしれない。ここでは、「使者」という位相の異なる言葉を歌にさしこんでいて、この一言で見慣れている猥雑な夕暮れの雑踏が、一転してどこか不可思議な聖なる空間に転換したように感じる。詩というのは、こんなふうに日常の世界をもっとも簡素な言葉で非日常の世界に飛翔させてしまう魔法かもしれない。

 

使者という言葉が喚起するのは、天上の世界であり、それにたいして地上に使わされたものであること。そしてこの地上にわたしたちが往き来している時間というのは、天上の存在から、限られた時間だけなんらかの理由で使わされているだけかもしれないという想念が生まれる。人間として生きている現実のさまざまな属性のほうが、もしかして仮象の姿なのかもしれない。そんなふうに思うと、実人生の重みがふっと抜けて、抽象化されることで見慣れた世界が新鮮に思えてくる。

 

ここでは、「すべての人は使者として」ということで俯瞰的な視点をすえている。高いところから町を見下ろしている。夕ぐれの群衆から雑多な印象が剥がれ落ちている。実際に人々はそれぞれの所用をもって動いているわけだが、ここではそれを「使者」というひとことで把握している。塵芥にまみれた地上の世界をこのうえなく静謐に描き出す。情念の上塗りもなく、押しつけがましい意味もない。ただシンプルで整った造型と、しずかな言葉があるのみだ。その背景には、作者の練り上げられた知的な世界がほのかに透けている。