なんとなく火の用心の拍子木を追い抜かさないようにゆっくり

谷川由里子(ある日の歌会)

 

前回、「鴉と言わない」話がありましたけど、「言わない歌」ってあるなと思います。
つい最近みたのが今日の歌です。
たぶん最後に(歩く)とかが入ると思うんですけど、そこを言わない。
「なんとなく~ゆっくり」だけでスムーズに(歩く)が伝わり、言わないことで臨場感が保存されている感じがして、上手いなと思いました。
今どきは「火の用心の拍子木」ってややめずらしいものだと思います。日常的なものではなく、わくわくする感じもある。
わたしはあまり遭遇したことないのですが、じっさいに拍子木を鳴らしてると、よく響くしけっこう迫力みたいなものもあって、「追い抜かさない」ことにするのもよくわかります。
まさに「なんとなく」です。
この歌だと、この「なんとなく」を初句に置いているのもいい気がします。
よく「説明してはいけない」みたいなことを言いますけど、「拍子木」の話を頭からはじめるとたぶん説明っぽくなる。

「なんとなく」から入って、「ゆっくり」という心の動きまで言って、気がつくと(歩く)が伝わっている、というように、リードがとてもスムーズなのが印象的です。歌に入りやすくて、余計なほうに意識がいかない。

 

空いてると思って来たら混んでいる火の玉ロックを聴いて待ってる

 

同じ作者でこういう歌もある。
こちらは場所を言わない。「火の玉ロック」が「混んでいる」場所のがやがやから浮かび上がってくる。

あらためて考えると「言う/言わない」って何なんでしょうか。「言わない」は明らかに歌の論理であって、このように書いている鑑賞のほうは基本的に言うのが仕事になる。

このことを考えるとこんな歌を思い出します。

 

おもむろにからだ現はれて水に浮く鯉は若葉の輝きを浴む  佐藤佐太郎

 

これは「後から言う」でしょうか。
もちろん「鯉」の出てくる順番のことです。下句に入ってはじめて「鯉」という言葉が出てくる。
やはりこれも頭から「鯉」と言ってしまうと、上句の動きが死んでしまうという感じがします。最終的に「鯉」は出てくるけれど、それを後からにする論理は、「言わない歌」のそれとほとんど同じな気がします。
そして、この「おもむろに」は今日の歌の「なんとなく」と歌の中で果たしている役割が似ている気がします。両方とも説明上の意味は微弱で、でも歌のゆっくりした流れを最初で決定づけている言葉です。

 

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