久我 田鶴子


いまわれは吾子を殺せりまなうらがこんなに熱き怒りのうちに

富田 睦子 『風と雲雀』 角川書店 2020年

 

子育ては日々、真剣勝負だ。

笑ってばかりはいられない。頭を撫でてばかりもいられない。

時には、怒り爆発。感情のコントロールも利かなくなるくらい熱くなって、子どもに立ち向かわなければならないことだってある。

「いまわれは吾子を殺せり」の母親は、昂ぶった感情の中にいる。実際に殺すことはなくても、殺してもおかしくないくらいの怒りでまぶたの裏を熱くしている。

小さくとも、子どもが発するエネルギーはもの凄い。それに対抗し上回るには、手加減などしている余裕はない。本気でぶつからなければ負けてしまうし、こちらの気持ちを相手に見透かされてもしまう。

子どもは親とのぶつかり合いの中で、親の愛情を計っている。親の怒りが本気で自分に向けられているものかどうかも、直観で分かってしまうものだろう。本気ならきっと子どもにも伝わるだろうし、子どもは日々そうやって親の愛情を確かめながら成長しているのだろう。

あらためて、「いまわれは吾子を殺せり」に戻る。言葉の強さ。絞り出すように発しながら、作者は熱い涙を流しているにちがいない。意識の上であっても、わが子を殺したということに平気でいられるはずがない。「いまわれは吾子を殺せり」は、自分に向けて突き刺すように発せられた言葉だ。子どもに対して一時的にも感情のコントロールが利かなくなってしまった自分を責めているのでもあろう。

 

今日なんか楽しかったと子の言えば泣きたいような夕焼けである

 

一日の終わりに、「今日なんか楽しかった」と言っている子ども。それを耳にして、今日がこの子にとって幸せな日だったんだなと、泣きたいくらいにただただ嬉しく思える。母親とは、そういうものでもあるらしい。