夕焼けと青空せめぎあう時を「明う暗う」と呼ぶ島のひと

※「明う暗う」に「アコークロー」とルビ。

俵 万智 『未来のサイズ』 角川書店 2020年

 

作者が石垣島で暮らしていた頃の歌である。

島の人たちが「アコークロー」と言うのを聞いて、初めは何のことかと思ったことだろう。それが、「明う暗う」であって、「夕暮れ」を意味すると知った時、おそらく作者の目はいっそう大きく見開かれたにちがいない。初めての土地で、今まで知らなかった言葉を知る喜び。その土地に馴染んでいくきっかけでもある。

「アコークロー」。「明るい」でもなければ「暗い」でもない、その両方が混在している時を、ふたつの語を並べることによって表そうとする大らかさ。それは、そのまま島の人たちの大らかさでもあろう。

「アコークロー」が「明う暗う」だと知った作者のイメージは、「夕焼けと青空せめぎあう時」。夕焼けと青空とがせめぎあう、緊張感をはらんだ動的な時と捉えている。

夕暮れどきの、刻々と変化してゆく空の色は、静かに少しずつ「明う」から「暗う」へと動いてゆく。そして、そのことを確かに認識している島の人たちがいる。

 

夕焼けと青空せめぎあう時を「明う暗うアコークロー」と呼ぶ島のひと

 

一首のつくりは、緩やかな一筆書きのように繋がり、「島のひと」と体言止めで結ばれる。つまり、この歌の中心は「島のひと」だ。

夕暮れどきの、少しずつ変わっていく空を眺めながら、それを「アコークロー」と呼ぶ島の人たち。そこでは、時間も空間もゆったりとあるがままに受け容れられている。「明るい」でも「暗い」でもなく、どちらも混ざり合い、少しずつ変化してやまない時の豊かさを知っているのだろう。作者の、島の人たちに対する「わぁ~!」という思いも伝わってくるようだ。

言葉との出会いは、それを使っている島の人たちとの出会いであった。そして、この作者の凄いところは、そこからさらに、島の人たちの暮らし方や認識のあり方まで、ほとんど直感的に理解できてしまったのではないかと思われるところだ。

ついでながら、『オキナワなんでも事典』(池澤夏樹編 新潮文庫)で「アコークロー」を担当している大城立裕によれば、「この語は古来、夕暮れどきのそこはかとない不安をともなうものと解されていて、その点では『逢魔おうまとき』という日本語に共通するといえる。」のだそうだ。

 

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