佐佐木幸綱 『春のテオドール』 ながらみ書房 2021年
「あなふかくおおきくあれど」と1音ずつを確かめながら、それが「穴深く大きくあれど」だと分かるまでの、僅かなタイムラグ。そして、その後に続く「今日明日はうめずにおかむ」。
穴が深くて大きいのであれば、誰かが落ちてしまう危険性がある。普通なら、すぐにも埋めなくてはとなるはずだが、この作者は「今日明日はうめずにおかむ」と言う。いずれは埋めるにしても、今日明日くらいはそのままにしておいてもいいだろうというのだ。
結句には、1拍あけた後に「あなをてらす月」。
時間帯は夜であった。月の光に穴が照らされている。穴とその周辺の陰影が印象的だ。「あなをてらす月」とあることから、作者の視線が地面の穴から空の月へと向けられているのが分かる。空間が一気に広がる。
宇宙の夜のなかで、月の光に照らされた深く大きな穴が深淵を覗かせるようだ。この光景は、なにやら哲学的でもある。
平仮名が多用される一首の中に、漢字は「今日明日」と「月」のみ。時間と天体をあらわすもののみが漢字で表記され、いっそう哲学的な色合いを帯びてくる。
ところで、この歌の前には、実はこのような歌がある。
かぜをかぐつちふかくほる 昨日からテオには春がきているらしい
テオというのは、作者が飼っているゴールデン・リトリーバー。白い犬である。
人間よりも早く春が来たのを察知したらしく、昨日から風を嗅いだり、庭の地を掘ったり……。「今日明日はうめずにおかむ」と作者が言うのは、春が来たのを喜んでテオが掘った穴だからだった。悪戯好きな子どもでも見るような優しさがそこにはある。
にんげんは自画像をかく テオはじぶんにかんしんなければのむ秋のみず
テオというのは通称で、本当の名はテオドール。ヴァン・ゴッホの弟であるテオドール・ゴッホから名前をもらったのだという。
そうしてみると、「にんげんは自画像をかく」には、何枚も自画像を描いたヴァン・ゴッホのことが強く意識されているにちがいない。それに対して、兄を支えつづけた弟テオは、犬のテオが自分自身に関心がないのと同じように、自画像を描いたりはしなかっただろうとも。
秋の水を飲むテオは、ただそのことだけに夢中になっているにちがいない。そういうテオの、自分に関心がないというあり方に、作者はちょっと目を瞠っているようだ。