真夜中にかける電話に友達が笑った息の音が聞こえた

山崎聡子『手のひらの花火』

 

 

真夜中に電話する。
シチュエーション的には、大人が電話してるんじゃなくて、
ティーンエージャーの人が電話してる感じかと思います。そのときを思い出している、ということかもしれない。まわりの歌がそんな雰囲気なので。
だから「真夜中」の電話はちょっとどきどきするというか、
高校生が深夜ラジオを聴くみたいな、もう少し早く寝ている、早く寝てしかるべきと思われているような人が、あえて起きていてかけるような電話なのかと思う。

「笑った息の音」が心に残りました。
電話で聴く相手が笑った息の音は、あの、破裂音みたいな音かと思います。
あはは、とかクスッとかでなく、けっこう爆笑して、一気に出た音を受話器がひろいきれなくて割れるような音。バリッみたいな。
友達は笑っているけれど、優しい音でもなごやかな音でもない。むしろ不穏な音。
家の中は寝静まっていて、外には暗い空間が広がっていて、そこで電話している。
世界の裂け目みたいな音。笑いながら友達も聞く自分も、そこに飲み込まれるような穴が空いている。大人と昼の世界から離れてやばいようなところに触れてしまう。
ちょっと進みすぎかもしれませんが、そんなことを想像します。

あの破裂音みたいな音をピックする理由は上のような直感によるのかと思う。
ティーンエージャーが表の世界から見えないやばいものとか、死に隣接する、みたいなモチーフって、アメリカ映画とか見てるとときどき出てくると思うのですが、この歌はそれをけっこう素手でつかんでいるような気がして、そこが好きなところです。

ここまで言ったけど、「笑った息の音」が、わたしが想像するようなあの音なのかどうか、
ちょっとわからないところもあります。
もしそうだとすると、表現的には少し言い足りていないのかもしれない。
これは作者のおそらく初期のほうの作で、歌の全体もなんとなく無防備な感じがします。
でもその感じもいいのかもしれない。少なくとも改作はできないなと思う。
「笑った息の音」。
文体って、仕上がっていればいいというものでもない。
「息」でもう一首。これ好きな歌です。

 

何シンドロームよ無駄に息を吐き「ハリソン・フォード」を言いまちがえる

 

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