足立 晶子 『はれひめ』 砂子屋書房 2021年
尾崎放哉の句「来る船来る船に一つの島」を元にしている。
来る船ごとに一つの島があるのだから、瀬戸内海に三千の島があるのも不思議ではないね、といったところだ。それほどたくさんの船が瀬戸内海を行き交っているということでもある。
「来る船来る船に」までは放哉の句をそのまま用いている。
初句4音、字足らずで始まるが、「来る船」そしてまた「来る船」と、少しだけ次のを待つ感じもあって、同じ言葉の繰り返しが弾みをもって繋がっている。
兵庫県川西市在住の作者。小豆島を訪れ、放哉の句を実感として受け止めたのである。
熟柿食ふおとがひまでも濡れさせてふたり黙して味はひてゐる
天気図は西高東低うつくしき曲線となる水仙を切る
熟柿は「じゅくし」と読む。よく熟した柿のこと。歯ごたえのある柿よりも、よく熟してじゅるじゅるになったのを好む人はいる。作者と、一緒に食べているもう一人も、その口らしい。
「おとがひ」は、頤。下顎のことである。熟柿のじゅるじゅるで顎は凄いことになっている。でも、そんなことにはお構いなしに、ふたりは黙って味わっている。頤が濡れるのもまた、熟柿を味わう醍醐味とでも言うかのように。
「熟柿食ふ/おとがひまでも濡れさせて/ふたり黙して味はひてゐる」。意味で切れ目を追ってみると、こんなふうに三つになる。
後の歌も意味で切れ目を追ってみる。
「天気図は西高東低/うつくしき曲線となる/水仙を切る」と、これも三つになる。
西高東低は冬型の天気図だ。等圧線が縦並びの美しい曲線を見せている。そして結句は、そこまでの内容とは直接つながらないような「水仙を切る」。場面が切り替わって、鮮やかな付けとなる。
意味で切れ目を追ったときに三つになるのは、少し長めの俳句のような趣である。
短いフレーズがぱらりと。それでいて、散らばらず、ざっくりとした繋がりをもって一つの世界がつくりだされる。粘着質とは逆の、ぎゅうぎゅう詰めとは逆の、言葉の間合いと一気に転じる切れ味の良さ。さばけた言葉の運びとテンポ。この味わいが面白い。