紀野恵『La Vacanza』(砂子屋書房,1999)
高校生のころ、紀野恵氏の短歌に夢中になっていた時期がありました。
そして、わたしが生まれて初めてお会いした歌人は彼女でした。17歳の秋、徳島で。
「アウロラ」はローマ神話では曙の女神。知性の光、創造性の光が到来するときのシンボル。
オーロラと言えば、一般には天体の極域近辺に見られる大気の発光現象のことを指します。ここでは「曙」という字に「アウロラ」とルビがふられています。
どちらの意味合いを含ませても、「曙がゆつくりよぎる」の景を支えるものの正体は、はっきりとはわからない。
ただ、「曙」の「よぎる」ようすが、日の出や入りのイメージとも重なって、放物線を描くようにして「ゆつくり」過ぎてゆく。
予感をはらんだぼんやりとした陽光は、たっぷりの時間と字数をつかって、語り手の言葉のうえに、そして上の句いっぱいに広がってゆく。
それは、徐々に、わたしたちのまなうらにも沁みだしてくる。
こんなにもうつくしい夜明けの光り、もしくはそれに匹敵するほどの知性や創造性、その到来する瞬間でさえ目をつむっている、だらしのない誰か。
あるいは、まなうらに「アウロラ」の幻を視ているわたしたちにむかって、語り手は「睡りつぱなし」となじる。
そこに重なる、促音を抱えた大きな光りと瞼。
あるべき何かは空っぽで、そこにあるのは、今はまだ淡い光りと、誰かの穏やかなねむりだけ。
最大の謎は「王位は空位」。
貴い何かに、今は誰も当てはまらない。ということ以外は、なにもわからない。
語り手はぼうっとしているようで、じつはにわかに焦っている。何かの到来をつよく待ちわびながら、けれど、その焦点に関しては沈黙を守ったままで。
当時のわたしは、「わからない」ということがこんなにも甘美であるということを、ほとんど初めて味わったのでした。