トラックの屋根に積もった雪がいま埼玉県に入って行きます

相原かろ『浜竹』(青磁社、2019年)

 

川端康成『雪国』は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」とはじまる。「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」とつづく。この「長い」トンネルを抜けるというところに、物語世界への導入があって、「雪国」のはっとするような光景にわたしは立ち会う。

 

今日の一首も、〈境〉をこえて「埼玉県に入って行」く。しかしそれは、ほんの一瞬のことで、いかにも現実的である。〈境〉をこえるという大袈裟な意識はここにはない。ただ眼前の、ささやかな発見があるだけだ。

 

夜のあいだに積もった雪だろうか。雪の地域からきたトラックが、頭(背中)にまだ雪を載せて走っている。それが今、埼玉県に入ろうとしている。「雪がいま」とあるので主体は雪である。トラックがなければ、埼玉県には存在することのなかった雪が、いま入ってゆくのだ。

 

周りに積もっている感じもなければ、いま雪が降っているわけでもない。そういう埼玉県のひとところを想像する。そこにひとつのトラックが入ってゆき、するとその屋根に残った雪はいかにも異様に映る。しかしそれさえも、たちまち風景になじみ、あとから来たトラックが同じように雪をもちこむだろう。

 

実況解説さながらの「入って行きます」という敬体が、どこか飄々としたうたのわたしを映し出す。このあっけなさがリアルであり、と同時に、それはどこかおそろしくもある。「長いトンネル」もなしに〈境〉をこえていいのか、という、薄ら寒い予感がのこる。

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