丸田洋渡「うつくし」,note 2022年5月14日更新分
「美というテーマにけりをつける。」という詞書に惹かれて、目を通した連作のうちの一首。
「妖精期そして霧散期」。どちらも造語と取りました。が、どちらもいったん調べてしまうほどに、現実味を帯びた不思議な言葉。
しかし思い返してみると、そもそもこの世界に存在するすべての言葉は、たくさんの〈わたしたち〉によって造られたもの。
どんなに美しい言葉も、もとからそこに在ったわけではない。
それゆえ、そこに在った〈美〉を言葉でなにもかも正確に掬い取ることは、じっさいのところできない。じつはずっと、できていない。
そういったことを、つまり言葉の無力さのようなものを、すっかり忘れていたことにも気づかされます。このたった17音で。
一字空けののち、下の句「私から言葉にできるのはそれくらい」。
諦めと失望と、けれど「それくらい」に指示される言葉の、果てしなさを含んだ〈美〉に対する憧憬。
しかし、その言葉そのものが「~~期」という、ある限られた時空を指していることの巧みさ。
視点が幾重にも差し込まれることによって、言葉の無力さは無敵さと表裏一体であることも指示しているのです。
作者、歌の語り手、そして作中の主体、という三者以外の、たくさんのメタな〈私〉の視点を抱えている、〈わたしたち〉の歌なのだと痛感します。