髙橋みずほ『野にある』(現代短歌社、2022年)
東日本大震災とそののちの風景、またその土地にながれてきた時間、積み重なった人の暮らしをえがいたIV章から引いた。
しずけさ/おときえてこの/ひろがりに/人いなくひと/風のむこうにひと
全体に自由律の一冊で、このうたも初句「しずけさ」を読んでのち、その「しずけさ」を呆然とながめる視線だけが、取り残されたようにうた空間に浮かんでいるのを読む。この不安定なるところに、鑑賞者のわたしもどこか足場を失うような気持ちになる。
人が生きるということは、この世に物の音をたてるということである。その暮らしがことごとく引き剝がされ、そこに残った「無」と、それゆえの限りのなさだけがひろがっている。
音に限らず、たとえば視界がとざされたときなどにも、たちどころに空間の広がる感覚がある。そのことによって、ここではいっそう、「人」のいないことが強調されるようだ。
物の音たてずなりたる「人」を、あるいは「ひと」と書くのだろう。風の向こうへいってしまった、あまたの、あまたの「ひと」の気配が、リフレインのなかにわきあがるようである。
歌集には、
無限にふるえかぎりをおそれほそき手の温もりに手をかさね
という一首があって、「岡部由紀子さん」を見舞ううたである。無限にふるえ、かぎりをおそれ、ほそき手の温もりに手をかさね……、このどこまでも連なりそうなひろがりは、今日の一首にもかようところがある。そこになすすべなくたつ、眼差しだけをうたに残しながら。