杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』六花書林,2010.04
今日から11月。さて、この「日々のクオリア」も、残すところあとわずか。
と、いうことに気がつきつつ、月食ののちの街のようすを眺めつつ、この歌を思い出していました。
ここでは「ボンベ」という言葉のあることで、潜水服や宇宙服を着たひとの背負うような、
重たく大きな酸素ボンベが、「ぼくたち」の背の一つひとつに負っている様子を想像させます。
「星空がとてもきれい」なのは、本当のところいつだってそう。
それなのに、わたしたちはかんたんにそのことを忘れてしまう。
まるでそのことを揶揄するかのように、下の句では「ぼくたちの残り少ない時間のボンベ」と、
「ぼくたち」に含まれるわたしたちは「ボンベ」を背負って、この歌の世界に立ち会うことになります。
普段着の「ぼくたち」の恰好にそれはそぐわなくて、なんだかとてもまぬけで、けれど真を衝いている。
にんげんの有限性を思い知らされるとき、普段の何気ない光景がとたん耀いて見えることがある。
それはおろかで、だけどじっさいうつくしい。そのことをやさしく言いくるめられたような、ほの哀しい一首です。