一歩ずつ全世界足のうらにきて世界を移しながらの下山

渡辺 松男『牧野植物園』(書肆侃侃房 2022年)

 

 山は上るときよりも下るときに注意しなさいと言われる。そして、下山の時には、足のうら全体で地面をつかまえて、ゆっくり体重移動しなさいと言われる。

 だから、この「一歩ずつ全世界足のうらにきて」という感覚はよくわかる。わかるが、これは実に思い切りの良い表現でもある。こちらが世界を踏むのではなくて、世界の方からこちらの足うらに集まってくる。想像してみると楽しい。アジアから地球の反対側の南アメリカ大陸まで、北極も南極も、海も山も、人も牛もビルも遊園地も、一足ごとに一瞬にして、小さな一つの足形へ集まってくる。

 だけれど、もっと突き詰めて考えていくと、全世界が片足の下にあるとき、もうひとつの足はどこに踏みかければいいのか、とか、そもそもどこへ向かって下山しているのか、など、解消できそうにない疑問が浮かんできてくらくらする。何となく、落語の「あたま山」に似たシュールな「世界」観だ。

 ある部分(この場合は足のうら)の認知を肥大させるように捉えたとき、その極端さがたまらない表現をつれてくる。作者は長く病気を得ているけれど、この「足のうら」の感覚はとても豊かだ。

 

 もう一首、この歌集から足の歌を。

 

  歩きなば足が忘れてゆく道の歩かむ前の輝きを撮る

 

 こちらの足の歌では、歩くそばから足が道のことを忘れていくという。

 

 一度歩いた道は、もう、歩かなかった道には戻れない。

 歩かなければ忘れることもなかったのに。

 

 だからこそ、歩く前の輝きを撮る。輝きとは未来の時間へのときめきである。せめて、撮ることで、とどめられる何物かがあるのなら、いい。

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