みづからを閉づるちからのまだのこる白木蓮を夕闇つつむ

木畑紀子『水繭』柊書房,2004年

夕方、眼前には白木蓮がある。白木蓮は日中咲き、夕方には花が閉じるのだが、花が咲き切るとそのまま散ってしまう。目の前にある白木蓮は花を閉じている。上句の描く範囲がピンポイントな印象があるため切花の可能性も感じるが、「夕闇つつむ」が野外にある白木蓮の木の情景を想起させる。

もう花の盛りに近い。夕方になって咲いていた花が閉じる。主体はいくばくか驚いたのだろう。もう閉じずにあとは散るのみかと思っていた、「まだ」の一語にはそんな主体の感情がにじむ。

「みづからを閉づるちからのまだ残る」は印象的なフレーズ。花の開閉は印象深い現象だ。開花に使われる力は明るい印象があるが、開いた花が閉じるのは、必ずしも明るい印象はなく、どこかものさびしさを感じさせる。そこに花がエネルギーを使うことが、妙にあわれだ。
白木蓮は花を閉ざし、その内側にはうっすらとした闇が存在する。閉ざした白木蓮をさらに夕闇がつつみ、白木蓮が妙に印象的に浮かび上がる。
結句は助詞が省かれて少したどたどしい。〈つつむ夕闇〉と体言止めにすればスッキリするが、それだと一首は夕闇に収斂する。あくまでも、一首の力点は花を閉じる白木蓮にあるのだろう。白木蓮を主役としたままで、一首は結句で少しよろめいたような着地をする。一首には直接的に主体の感情は明示されていないが、この結句からも感情の揺れをかすかに感じる。

白木蓮は花を閉ざし、また花は開き、散ってしまう。そこに我が身を重ねることは、古典美を感じる。「閉じるちから」とどこか擬人化めいた表現からは、白木蓮への心寄せを感じてしまう。

白木蓮をつつむ夕闇。白木蓮を見ている主体も、その夕闇につつまれているのだろうか。

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