母と娘のあやとり続くを見ておりぬ「川」から「川」へめぐるやさしさ

俵 万智『かぜのてのひら』(河出書房新社 1991年)

 

 小さな旅の途中で見かけた、通りすがりの母娘を詠っているけれど、知り合いの母娘でもかまわない。駅やバスターミナルのベンチ、電車の中、ファミリーレストラン、暖かなリビング、場所もどこでもいいのだ、あやとりはどこででもできる。そんな二人の楽しげな時間を見つめる眼差しがある。

 

 あやとりには、一人でつくり上げるものと、いわゆる「二人あやとり」とがある。二人あやとりは、相手のつくったかたちを踏まえ、その紐を自分の手に掬いながら、新しい形をつくっていくというものだ。その際、オリジナリティーあふれる難しい掬い方に挑戦してもいいけれど、ある程度は決まった型があり、田んぼや、舟、ダイヤなどをつくることが多い。その途中に「川」のかたちになる瞬間がある。

 「川」は見るからに川で、左右の指に何本かの紐が平行に掛かっており、まさに象形文字の「川」である。はたから見ていた主体にも、どんどんと形状が変わるなかにおいても、ああ川だ、ということはわかった。

 二人あやとりは失敗しない限り、エンドレスで進められる。その時々に「川」が出現する。二人あやとりは、見方を変えれば、「川」から次の「川」へとたどり着く遊びでもあるのだ。

 それを母と娘が行うとき、「川」はまた異なる色味を持つ。

 母から娘へと受け継がれるいのちの川。川はとうとうと流れる。受け渡し、受け取るなかに、川のいのちは続いてきた。続いてゆく。

 その様子を「やさしさ」という一語が受け止める。柔らかな肯定感である。かすかな憧れもあっただろうか、しなやかに世界をつくる、こんな二人への。

 

 この「川」は、春の川。

 水の美しい季節である。

 

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