母逝きしのちの五月もアマゾンの母の日ギフトの案内は来ぬ

畑中秀一『靴紐の蝶』現代短歌社,2022年

老い母の話口調は少しずつかつ確実に仏に近づく/畑中秀一『靴紐の蝶』
負けたさは勝ちたさを越ゆ認知症わずらう母とする七並べ
持ち慣れぬ長き箸にて入れ慣れぬ壺へと納めるまだ熱き母

掲出歌に先立って歌集中にはこのような歌が収められている。これらを含む「七並べ」という連作には、ケアハウスに入居したお母様が亡くなるまでが描かれている。
弱りゆくお母様の様子が一首一首に込められる。コロナ禍によって面会ができない様子も描かれ、やるせない気持ちにもなる。三首目に引いた荼毘に付す場面の一首は、感情の乗っているであろう結句が胸を打つ。
掲出歌は同連作の掉尾に配されている。

インターネットサイトで買い物をすると、サイト側はこちらの購入傾向を把握し、商品を推薦してくる。それはAIによる自動的なものだろう。主体は以前Amazonの母の日ギフトを利用した。そして、Amazonは自動的に、主体が今年も母の日ギフトを贈る前提でメッセージを送る。そこにお母様はいないにもかかわらず。
提示されている事実は納得感があり、そういう事はあるだろうなと思うのだけど、そんなあるある感を容易に乗り越えて一首は読者に迫ってくる。

インドより楽天経由で母の日にちあきなおみのCD贈る/畑中秀一『靴紐の蝶』

歌集巻頭の連作にはこのような歌が配されている。インドに単身赴任している主体は、買い物サイトである楽天市場にCDを注文して母に贈る。母の日のプレゼントは毎年贈っていたのだろう。遠いインドからも、現代的な工夫を経てプレゼントは贈られる。ここで贈られているのは物理的には「ちあきなおみのCD」なのだけど、本質的にインドから楽天を経由して送られているのは主体の〈気持ち〉だろう。CDは楽天(の倉庫)から母の元へ届くので「経由」はしていない。最初に読むと内容の面白さや、天竺から楽天を経由する不思議さ、主体の母への思いなどが読みどころだと思うのだけど、掲出歌を読んだ時に、もう母の日ギフトを贈る事ができない事実が本当に重く感じられる。

主体が生きている限り、これからなんども五月は巡ってくる。春から夏に移る生命がみなぎる五月。
毎年お母様に贈っていたであろう母の日のプレゼントは、もう贈ることはできない。それでも、インドから楽天を経由したように、〈気持ち〉は贈ることはできるのかもしれないなと思ったりもするのだ。

父の名の横に母の名きざまれてそのまた横の墓石の余白/畑中秀一『靴紐の蝶』

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