三枝 浩樹 『みどりの揺籃』(花神社 1991年)
本当は、五月の歌ではない。だが、みどりが日に日に勢いを増し、水の美しさが際立ってくるこの季節になると、どうしても思い出されてしまう。
海、あるいは、川。そこで「きみ」は亡くなった。入水なのか、事故なのか。
もうそれは、とても重いことである。だが、朝は遺体をうちあげた後、「いつも」に「復る」のだ。この「復」という字、復元、復活、復旧 もとどおりに、という意味である。これが、容赦ない。
人間の哀切な嘆きに比して、自然にとっては、何ほどのものでもない出来事か。何事もなかったようにまた、水はうねり、水は流れる。
こんな圧倒的な自然の前に、何をどうすればいいのだろうと思う。
一方で、「岸辺まできみの遺体をうちあげて」というところに、自然の意志を汲み取ることもできる。むしろ、そう読むべきかもしれない。「(○○を)うちあげて」という他動詞は、主体が別に存在し、それが水、あるいは自然であることを示す。
せめてものはからいなのだ。そこまで。自然がしてくれるのはそこまでだけれど。
なぜなら、「岸辺」は境界であるから。水と陸の境界であり、生と死のそれでもあるから。
「みどり」は連なる枝々の葉のさやぎであり、地に繁る草のなびきである。またそれらを映しながら、さらに、水中に生きる苔、藻などの小さな生き物を含みながらゆく水のたゆたいである。そうして朝の色 生まれたての息づきが帯びるいのちの色でもある。
朝の香気、そして量感。
その生命力の世界から、きみは「うちあげ」られた。もはやなじまぬものとして。
さて、冒頭で五月の歌ではないと断言した。それは、「きみ」にモデルがいるからだ。
詩人、原口統三。十九歳で入水自殺を遂げた。1946年10月のことである。友人に託した遺書とも言うべき手記、『二十歳のエチュード』で知られている。
アルチュール・ランボー、原口統三も熱風 不惑のここ過ぎてゆく
あかときの死のしずかなるまなざしに応えんとせしししむらなるか
歌集には、原口へ傾いた日々が映る。「きみ」とのこのようなめぐり合いもあって。
みどりが美しい。