レシートは大丈夫です、と伝えればくしゃくしゃにされるパフェのレシート

長谷川麟『延長戦』現代短歌社,2023年

カフェかどこかでのお会計の場面。「レシートは大丈夫です」と主体が伝えると、店員はそのレシートをくしゃっと握りつぶした。店員に悪気はないのだろうが、いくらかざらっとした印象が残る。

主体が食べたのはパフェだ。一人で食べたのか誰かと一緒かはわからないが、例えばラーメンを食べるとか、珈琲を飲むよりも、パフェにはいくらか特別感がある。パフェには高揚感が付随し、会計時にもいくらか高揚感は残っていただろう。
主体はレシートを必要としていたわけではない。ただ、眼前でそれが握り潰されると、パフェの高揚感も萎んでしまうような気がする。「パフェ」と提示されていることで、くしゃくしゃにされるレシートとの間にいくらか距離が生まれて、印象に残る一首となる。これが、〈珈琲のレシート〉や〈ラーメンのレシート〉であれば、「くしゃくしゃ」までの距離がずいぶんと短くなり、一首の印象はずいぶんと変わる。「レシートは大丈夫です」という丁寧語でのコミュニケーションも、くしゃくしゃにされるレシートへの助走として機能する。
何気ない場面を提示している歌だけれども、手堅い作りの一首だと思う。

助手席にゆきのねむたさ こんなにもとおくの町で白菜を買う/長谷川麟『延長戦』
ポケットのなかで洗濯されているような気持ちで新宿にいる
美容師に首をやさしく掴まれて手折ればすべて枯れてゆく花
しぼませるために浮き輪を抱きしめて夏の喉輪を締める感覚

白菜の妙なリアリティと雪と眠気との取り合わせ。多用される平仮名表記が「ねむたさ」と響き合う。非関東在住者には共感値の高い新宿の混沌を、意表を突く比喩で描く二首目。洗濯されるではなく、「ポケットのなかで洗濯される」という捻り方が秀逸だ。美容院での一場面から手折られた花の儚さにイメージを飛ばす三首目。シャンプーの場面かもしれないが、鋭利な鋏を持つ美容師の前で無防備な主体と手折られて枯れてゆく花が重なる。浮き輪の空気を抜く動作に感じる身体感覚を季節に重ねる四首目。「抱きしめて」という語の斡旋が的確で、水遊びが終わった後の気怠い空気が感じられる。
いずれも読者の中で再現性が高く、その場の空気感が伝わってくる。

これらの歌は必ずしも『延長戦』の本線ではないような気もするのだけれど、『延長戦』の世界を味わう中で、安定した足場のように感じられる。

アルティメット大好き級の恋だからグラップラー刃牙全巻売った/長谷川麟『延長戦』

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