捨てられるための資料を作ったら怒鳴られるための電話をかける

三田三郎『鬼と踊る』左右社,2021年

資料を作り、電話をかける。サラリーマンの基本的な動作が詠み込まれているのだけれど、作る資料は「捨てられるための資料」であり、今からする電話は「怒鳴られるための電話」だ。

働きはじめるまではそんなことはあまり考えなかったのだけど、「捨てられるための資料」も「怒鳴られるための電話」も案外ありふれた状況だと思う。「捨てられるための資料」なら作らなければよいと思うし、「怒鳴られるための電話」ならかけなければよいと思いはするのだけど、資料を作らなければ資料がないことで怒られ、電話をかけなければ、いずれ怒りの電話がかかってきてより一層怒鳴られるだろう。こうやって言語化されると、本当に、虚しいところに突き進んでいる感じがある。

一首に色濃くにじむのは徒労感だ。その行為を行う事で幸せになる人は存在しない。捨てられるための資料も、電話口で怒鳴る先方のひとも、幸せではないだろう。だけれども、日々の糧を得るために、資料を作り、電話をかける必要がある。たとえその行為が誰ひとり幸せにしないことが明白であったとしても。

「捨てられるための資料」も「怒鳴られるための電話」も案外言語化するのが難しいように思う。それは、目の前に横たわるルーティンの障害でしかない。日常は、そんな障害を雪かきのように取り除き、淡々と進んでいく。こうやって、一首の歌に昇華され言語化されると、ルーティンの異常さに気がついてしまう。

その異常さに耐えるために、三田三郎は酒を飲み、異常さに気がついたら自分を押し殺しながら、生きているのかもしれない。己の消化器をアジり、肝臓に負荷をかけ、膵臓を軋ませながら、この矛盾に満ちた憂き世に耐えるように。

肝臓の薬を酒で飲み下しみんな一緒に矛盾しようよ/三田三郎『鬼と踊る』

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