変はり得ぬわれを率ゐて十月と九月をつなぐ真夜を渡りつ

横山未来子『水をひらく手』(短歌研究社  2003年)

 

 文房具売り場を歩いていたら、もう来年のカレンダーが売られていた。

 年、月、週、日  当たり前のように、そんな区切りの中を生きているけれど、考えてみれば、すごいシステムだ。紀元前三〇〇〇年以上も前から暦というものはあるらしいが、より効率的な農耕や狩猟のため、また、自然災害を回避するためには、まず一年のサイクルを掴むことが必要だったのだろう。暦の語源は「読み」だそうだ。そして、月の満ち欠けから「一ヶ月」というものの長さが、太陽や月の運行から「一日」というものが把握されて行ったのだろう。そこからいろいろな試行がされつつ、今のような正確な暦に落ち着いたはずだ。人類の長い営みというものを思う。

 

 さて、年が変わる、月が変わるというのは気持ちの上でも結構大きなことだ。

 十二月三十一日が一月一日になる時はもとより、九月三十日と十月一日もやはり何かが違う。九月二十八日と二十九日の組み合わせよりも、隔たっているように感じられる。

 あくまで、人が決めた基準だけれど、そこにある線引きは、絶対的なもののような気がするのだ。

 

 だが、こちらの身がどう変化するかというと、そこはさほど変わらない。

 こちらの歌でも、「変はり得ぬわれ」と、変わらないことが断言されている。「得ぬ」は不可能ということ。強い諦念だ。変わりたい、吹っ切りたいという思いがあっても、何かを抱え続けずにはいられないことが予感されている。

 

 独特なのは、そういう「われ」を「率ゐて」真夜中を渡るという表現である。「真夜を渡り」というところはわかる。まるで、「十月」と「九月」の間に、川が横たわっているような。そこに、幅の広い橋が掛かるイメージだろうか、この真夜限定で。そこを渡るのだ。

 だが、「われを率ゐて」が謎である。われを率いるのは誰だろう。たとえば、愛しい人。臆するわれを、それでも、新しい月にいざなってくれた。『伊勢物語』第六段「芥川」に、夜、男が女を盗み「芥川といふ川を率て」行ったことなども頭を掠める。

 それとも、われがわれを率いたのだろうか。

 われを成り立たせている、われのコアな部分を。インナーチャイルドのように、昔からずっと存在しているわれを。

 

 「渡りつ」の「つ」の完了には、意志的なニュアンスがある。渡ってしまった、時を越えてしまった。そこには、そこはかとない苦みがあって。

 いや、もしかしたら、思い切って事をなした「つ」だったのかもしれない。えいやと、ためらいを捨て、踏み出した「つ」なのかもしれない。

 

 今でこそ、十月と九月は気候的にさほど変わらないが、昔は、九月は秋、十月は冬、明確な違いがあった。冬だなんて……。

 

 時の間を渡りながら、わたしたちは進む。それは直線ではなく、円環状の、いつかも渡ったことのある季節なのかもしれないが。

 「十月」と「九月」をつなぐ真夜。まもなく来る。

 

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