秋の夜はもの冷えやすし爪切りも鋏もひとをおもふ心も

桑原正紀『秋夜吟』青磁社,2019年

暑さもようやくにやわらいできた。日中はそれなりに暖かいのだけど夜はしんと冷える。冷えるという感覚をようやく感じるようになってきて、ちょっと嬉しい。掲出歌は、そんな冷えを感じるような秋の夜が詠われている。

初句二句をまずは文字通りに解釈する。暑気を感じなくなった秋の夜。様々なものが冷えやすくなる。冷えるものの例示として提示される「爪切り」や「鋏」が秋の夜のひんやりとした印象を強くする。金属である刃物は冷えを帯びやすかろう。また、日常的なアイテムである鋏や爪切りが提示されることで一首は現実から距離を取らない。

結句にいたり、冷えやすいものの最後の例示として「ひとをおもふ心」が提示される。確かに人を思う心は冷えやすいかもしれない。様々な理由によって、人間は人間への好意を失い、ときには厭うようになり、人間は人間を忘れてゆく。

結句の感慨それ自体はさほど驚くべきものではないのだけど、この結句によって三句目四句目の具象が若干位相を変える。物理的な冷たさの例示から、刃物という人を傷つける可能性を含む凶器へと姿を変える。もちろん、結句に至る前に、刃物は冷えてゆく「ひとをおもふ心」をより一層鋭利に感じさせる助走として機能している。ただ、包丁やアイスピックなんかとは違い、「爪切り」も「鋏」もそれ自体では凶器としての印象は薄く、結句を読んだ後で凶器としての印象が明瞭になる。

爪切りも鋏も人を傷つけないように設計されている。ただ、それは寒さによって冷気を帯びるし、刃物である以上、人を傷つける可能性はずっと内包されている。それは、「ひとをおもふ心」とどこか重なるように感じられる。「ひとをおもふ心」は、ちょっとした理由で冷えてしまい、ときには人を傷つける凶器に転化することもあるだろう。

秋という季節の設定は「ひとをおもふ心」の冷えやすさと響き合う。秋はさらに冷えを増して、寒い冬に至る。掲出歌に具体的な人間関係の想定があるのかはわからないけど、「ひとをおもふ心」の冷えはどんどん深まっていくような気がする。

ただ、陽光にあたれば具象はまた温まり、冬は春に移り変わる。冷えてしまった「ひとをおもふ心」も、いずれはまた温かいものになるかもしれない。季節の設定によって、やがて訪れるであろう雪解けをもかすかに予感させるような気がする。

夕ごころすこし疲れて渡りゆく橋ははつかに身を反らしをり/桑原正紀『秋夜吟』

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