花山多佳子『木香薔薇』(砂子屋書房 2006年)
家に息子の友達が来ていた。息子の部屋か何かに集まっていたようだ。何人来ていたかは不明。それなりに大きくなった息子のようだから、たぶん、いちいち、誰が来ているのかというような詮索はしない。そもそも、紹介されても、覚えきれないかもしれないし。ある意味、勝手に来て、勝手に帰っていく、そういう距離感、空気感が伝わってくる。
でも友達はなかなか礼儀正しいようで、「おじやましました」と一声掛けていく。主体が見送っているわけではないのに、玄関を出るときにちゃんと挨拶をしていく。小さい頃から見知っている人達も混じっているのだろうか。「つぎつぎ」に、声が聞こえた。そして、静かになった。息子もいなくなった。
「息子もゐなくなりたり」には、コントめいた面白さがあるけれど、笑ったあとに、ほんの微か、さみしいような感じも残る。もう「息子」も、去って行く人なのだ。友達との世界に生きる人なのだ。いや、そういう理屈抜きに、「ゐなくな」るという言葉がそもそもさみしいから。「聞こえて~ゐなくなりたり」という展開の運び方、優れている。「なりたり」の文語が余韻を残す。
すべてがドア越し、壁越しの出来事だということ。情報が非常に限定された、独特な切り取り方がされていること。けれど、それゆえに、場面がありありと立ち上がってくるところ。具体が立ち上がりながらも、普遍的な深みに繋がっていそうなところ。ユーモアとごくわずかのペーソス。
そこは、到底、真似ができない。やろうとするとあざとくなってしまうところが、すっと、自然な呼吸のうちに、歌になっている。
息子も「おじやましました」と言ったのだろうか。
そこはさあ、わからない。