七年後だれかがはずすクリップを機密書類と箱にしまえり

佐藤華保理『ハイヌウェレの手』本阿弥書店,2023年

職場でのひとコマを描写した一首。状況としては、保存をするために書類を箱に詰めている。なんの書類かは詳らかではないのだけれど、法人税の取引帳簿は確定申告から七年間保存しなければならないなどの法的な決まりがあるとか、社内のルールによって七年間の保存が義務付けられているとか、そのような書類だろう。下手をすれば一度も開けられずに、倉庫の奥で眠り続ける書類だ。

上句の把握が面白い。書類にはクリップが付されていた。主体が保存作業に際して付したのか、すでにクリップ留めされた書類を保存するのかはわからないけど、そのクリップは七年後に自分以外の誰かが外すのだという。「七年」という年月の中途半端な遠さも効いて、その把握には納得感がある。
機密文書は溶解処理をされて再生紙になるのだろうか。そうであれば金属であるクリップは外してから処理業者に引き渡さねばならない。

廃棄する書類よりとるクリップは食べ散らかした小骨のごとし/佐藤華保理『ハイヌウェレの手』

掲出歌の次にはこの一首が配されている。主体は書類の廃棄作業をしている。七年前に「だれか」がつけたクリップを外しながら、七年間廃棄を待っていた書類を棄てる。掲出歌の把握は説得力を増すとともに、廃棄を待つ書類、時を経て廃棄される書類、そして七年後にはおそらくここにはいないであろう主体が淡く重なってゆく。

夜更けて夫が帰りぬ ダイニングテーブルにまで連れ帰る雨
玄関のドアを開けたら逃げてゆく猫のかたちに熱を残して
シャンプーの泡のながれて排水口へ落ちる間際に速度を増しぬ
格別なフルーツサンドがあるという長き行列が果てるところに

一首目は、雨の中で帰宅した夫。〈雨の気配がする〉というのが常套的な把握だが、「連れ帰る」という語を選ぶことで、衣服や鞄についた雨の存在が一首の射程に入る。
二首目は、ドアを開けたらそこにいた猫が逃げた場面。猫のかたちに熱が残っている把握が独特だ。〈猫の気配〉が残るというよりも、はるかに猫の気配が感じられる。「逃げてゆく」の主語としての「猫」は省略されていて、気配としての「猫」のみが配されている構成も、猫の不在と重なる。
三首目は、浴室でのひとコマ。洗髪の際に、排水口に向かって水が流れていくが、泡が入る瞬間にすっと速度が増したように感じられる。既知の場面だが、これを言語化するのは難しいように思う。
四首目は、街角での行列。行列の先にあるのはフルーツサンドだ。「格別の」、「果てる」という少しだけ大げさな措辞によって、行列の持つ宣伝効果のようなものがにじむ。みんなが食べるものに興味を持ってしまうという、そんな感情の根源部分に触れているような気がする。

歌集には、日常の何でもない場面が描かれているのだけれど、常套的な把握が避けられている歌が多くあって、一首一首が印象に残る。
生活の中で、流している部分を解像度高く把握するのは難しい。難しいし、おそらくそんな生活は疲れてくる。だから、こうやってその瞬間を作者自身が掴み取った歌は魅力的に感じるのだろう。

一首の歌を読んだ後、ほんの少しだけ、認識できる範囲が広がるような気がするのだ。

夫と子と異なる風をもつらしい二つの音でドアベルがなる/佐藤華保理『ハイヌウェレの手』

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