魚村晋太郎『銀耳』(砂子屋書房 2003年)
夜、コンビニのあたりを通ったら、光に照らされたその中がよく見えた。周りが暗いので、一層まぶしく感じられただろう。ガラスに反射した光まで輝く夜のコンビニは、単なる店舗というよりは、不可思議な魅力を放つ場だ。
「外を向いて俯いてゐる」というのは、一つの発見である。確かに、多くのコンビニは、入り口から続く、道路からよく見える壁面をガラス張りにして、そこに雑誌を並べている。これはコンビニの戦略だろうか。雑誌を立ち読みする人は、自然とその場所に長くとどまるから、お客さんがたくさん入っている店舗のように見えるだろう。つまり、本を読もうとすれば、自然と外側を向くことになる。そして、俯くことになる。それを主体は「綺麗だ」と感じている。
それは、光の中にシルエットとして立つ人々のフォルムの美しさでありながら、同時に、現代を生きる人々への愛おしさにも繋がる感慨である気がする。例えば、疲れすぎて夕食をコンビニ弁当で済ませる人。仕事あがりに、家へまっすぐ帰りたくなくて立ち寄った人。切れていた日用品を買いに来て、ふと本に手が伸びた人。真剣に、今読んでいる雑誌を買おうかどうか検討している人……。それぞれが、それぞれなりに懸命だ。そして、そういう、日々を営む人々が、さまざまな理由でコンビニを求める。集まっている、この風の夜に。
おそらくはもう、ここにいる「ひとたち」が同時に集うことはない。コンビニは一度きりの舞台である。その一回性の中に輝くステージである。それは人生の縮図でもあって。限りなく現実的な場所でありながら、限りなく象徴的な場所。光の中に浮かぶはかない祝祭の庭。それを主体は外から眺める、一観客として。
風の強い夜。そこだけは奇跡のように安らかだ。
「ローソン」の看板の色は青。それが、遠く「風」と共鳴する。「夜」と共鳴する。
そして、旧かな。「綺麗だ」という言い切り。その漢字表記。それらが清らかな場をつくる。
風の夜。行ってみたくなる。