辺見じゅん『闇の祝祭』(角川書店 1987年)
傍らに子が眠っている。子の呼吸する音だけが聞こえている。それだけ、あたりが静かだということだ。「やはらかし」は、その眠りが安らかであるということで、ならば、そう受け止めている主体自身も落ち着いていよう。満ち足りていよう。幸福を感じられるひとときなのだ。
その、子と自分との密やかな半径一メートルほどの空間から一転、下句では世界が大きく開ける。まず、星座のある上空に向かって。次いで、何か不可思議な次元に向かって。
「冬の星座」と言えばオリオン座や北斗七星が思い浮かぶ。他にも、おおいぬ座やこいぬ座、ふたご座。星座ではないが、冬の大三角形というものもある。シリウス、ベテルギウス、リゲル、アルデバラン……くっきりと輝く明るい星も多い。
冬は本当に星が綺麗だ。寒さに引き締まる気持ちがそう見せるだけでなく、現に、空気が乾燥しているから、星がぼやっとしないではっきり見えるのだと聞いたことがある。
そんな星が空にふえる。星は普通はふえないが……このふやす・ふえるということについて、三つ、考えてみた。
一つは、元々あったけれど認識されていなかった星に気付いたことを、そう呼んだという説。例えば、それまで子と遊んでいて、空を見上げる暇がなかったものが、子が眠ったのでじっくりと眺めてみたところ、ぱっと目立つ星以外にもたくさんの星がある事がわかったということだ。
二つ目は、実際に星座が星をふやしているという説。今は星座の数は88個で、これは国際的に決まっているそうだが、つくろうと思えばいくらでも増すことができよう。そうなれば、星座にとっては仲間が増え、空がより賑やかで楽しくなる。ばんばん星を増やして、ばんばん星座をつくり出せばいい。また、今ある星座を、他の星たちの力でゴージャスに飾り付けることもできる。星たちがそんなふうに思い、ある冬の夜に実行に移してみたとしても、それをある人間がたまたま目撃していたとしても、それもありだ。星座自体がもうロマンなのだから。
三つ目は、「子」が星をふやしているという説。……いやいや、これだってあるかもしれない。「息」であるから。
息をするというのは物事の根本である。私たちも生まれた瞬間に息をし始める。『日本書紀』でも、級長津彦命という神様はイザナギの息から、宗像三女神も天照大神の息から生まれた。インドでもプルシャという原人の息から風が生まれた。また、ヨガでも呼吸を大切にする。身体に満たしたプラーナ 生気を吐き出す時、何かが生まれないとは限らない。子が幼い人だとすればなおさら、そういう純なる根源的な力はあって。
上下は直接的に繋がらないものとしても読めるが、「息」と「星をふやす」ということがどうしてもかすかに関わっていく気もしている。
さて、ここはどこかのキャンプ場だろうか。冬キャンプも人気のある昨今だが。街の灯りの届かない場所で星空を眺めているのか。
あるいは、全くの家の中での歌と捉えてもいい。このとき主体に星は見えていなくていい。見えてないけれどわかるのだ、冬の空が星をふやしていることが。ありありとわかるのだ。そんな直感の中に目覚めている夜もあって。