魚村 晋太郎


残り世の半分(なから)は眠らねばならぬ樹齢のながき杉の鬱蒼

志垣澄幸『遊子』(1999年)

山眠る、といえば俳句の季語で、ひっそりとした冬山の様子をいう。常緑樹で葉を落とさない杉の林にしても、冬の間は他の季節にまして深閑として感じられるが、ここで「半分は眠らねばならぬ」というのは、やはり単純に夜間のことを指しているのだろうか。いずれにしても、杉に仮託しつつ、人間の身にひきつけての感懐だろう。

人間は一日に六時間から八時間くらい眠る。半分とまではいかないが、仮に寿命を八十年とすれば、二十年か二十五年は眠って過ごすことになる。余命が二十年あるとすると、そのうち五、六年は睡眠時間にあてられる計算だ。もちろん、まとめるとそうなるということに過ぎないが、ある年齢になって余命を具体的に意識するとき、そのうちの何年かを眠っていなければならないというのは、なんだかやりきれない発見でもある。

作者は、しかし、そのことを果敢無んでばかりはいない。鬱蒼とは、さかんに茂るさまをいうが、どこか鬱陶とか憂鬱を連想させる一語だ。樹齢の長い杉の木はさぞ憂鬱なことだろう。幸い人間の一生はそんなに長くないから、一日一日を慈しみながら生きることができるのだ。そんな思いが、一首の向こうに漂っている。

作者の別の歌集には「新年(にひどし)の水面にくろく浮きてゐる鴨ら加齢の思ひはなきや」の一首もある。杉の歌は新年に詠まれたものではなさそうだが、年があらたまると、読者としても自分の「残り世」のことなどが、柄にもなく思われたりするのだ。