きみの名とわたくしの声吸いこめるケルト渦巻模様円盤

大滝和子『竹とヴィーナス』 (2007年)

「ケルト渦巻模様」を見たとき、その捻れの複雑さに眩暈をさそわれ、そこに吸いこまれるような呼吸を感じたのを憶えている。

キリスト教が伝わる紀元前のヨーロッパ西方に住んでいたとされるケルト人がこの模様を創りだした。彼らはどんな世界観を持っていたのだろう。反転し、捻じれながら無限の増殖を繰り返すようなこの模様は、異界へとつながっているようにも見える。
わたくしは、その模様がほどこされた円盤を目の前にしている、あるいは思い出している。
始まりも終わりもわからない混沌としたあの模様をおもうと、「吸いこめる」になんだかなまなましい体感がやどっているようだ。

ところで、恋をすると、そのひとの名がとても大切なものにおもえる。ノートのすみなどに書いているうちに、つい声に出してみたりする。もちろん、一緒にいるときはその名を呼びたくなり、呼ぶ。
こんなふうに、自分の声と恋人の名がまじり合ってゆく心地よさ。
「ケルト渦巻模様円盤」はそんな恍惚の一瞬を限りないものとして封じこめてくれたのではないだろうか。

「きみの名とわたくしの声」というちぐはぐな表現にも、この恋の不器用な純粋性が現われている。