モーツァルト四十番を聞きながらうつむくひとであったよ父は

『土の色 草の色』飯沼鮎子

 モーツァルトの交響曲四十番を聞く在りし日の父の、「うつむく」姿を作者は呼び起こしている。家族や肉親などという関係、とりわけ父と娘の関係は、心を直に語り合ったりしないことが多い。そうしたなかで「うつむくひとであった」父を、「モーツァルト四十番を聞く」人としてとらえることで、父への理解の通路を開いたという歌である。
モーツァルトの交響曲四十番ト短調の透徹した旋律の悲哀感を、記憶している人も多いだろう。その中にはまた小林秀雄の『モーツァルト』を読んだ人も多いことだろう。終戦の翌年に書かれた小林の『モーツァルト』に、音楽批評家の吉田秀和は衝撃を受けたと告白している。この吉田と作者の父はほぼ同世代。吉田によると、音楽を書くこと、音楽を言葉に換えることはできないという。おそらく一首の中の父と娘の関係もまた言葉少なく、しかし音楽によって言葉以上の何かを通い合わせていた。そういう思いが深い旋律となって作者の中に蘇っている。二〇一九年刊行の第五歌集。

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