生まれきてかへりみるときてのひらに菫の花の重たかりけり

『過客』小中英之

 「生まれきてかへりみるとき」とはじまる言葉のさりげなさに、思わず通り過ぎてしまいそうになるが、なかなか含みのある言葉である。単純に考えれば、「かへりみる」とはそれまでの人生を、ということになるだろう。そのときの「菫の花の重たさ」とは、この世の可憐な同行者としてのいのちの「重たさ」であろう。歌集名の「過客」に、『おくのほそ道』の序文「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」も思い浮かぶ。作者には、すべては過ぎ行くという思いと、いまこの一瞬の「てのひら」にのせた「菫の花の重た」さとが、同時に認識されているということなのであろう。

また、初句の「生まれきて」という言葉のニュワンスから、「かへりみる」の歳月をさらに奥深くまで遡り、「菫の花の重たさ」を前世の記憶とする解釈もできるだろうか。時間の不思議な感じはその方がずっと濃くなる。しかしいずれにしても、作者にとって時は過ぎゆくという強い思いは残るだろう。「菫の花」の可憐さをかけがえのないものとして記憶した一首である。『過客』は二〇〇三年出版の遺歌集。

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