三角定規で平行の線を引くときの力加減で本音を話す

竹中優子『輪をつくる』(角川文化振興財団、2021)

たしかに、三角定規を二枚すべらせるようにして平行線を描く技法(?)というものがあって、小学校で習った。算数のテストやドリルにも、わざわざそれをやらせる問題があったのである。そんなことが、この短歌を読むと電撃的に脳裏によみがえる。四半世紀ぐらいのあいだ、私が一度も思い出さなかったことを、この歌の作者は思い出すどころか、歌にまでしている。

学校に来るだけでいいひとになり職員室に裸足で入る
体育祭ですごく笑っている子たち、見ていた、校庭、おやすみなさい
親切な人が次々現れてどちらもかわいそうと言うんだ

掲出の歌も含め、歌集の題にもなった「輪をつくる」という一連から引いた。内容からして、平行線を引く技法を教わる小学生時代からはやや時の過ぎた、中学か高校時代のようであるが、主人公はいまひとつ学校になじめない。掲出歌の、大人たちや友人に「本音を話す」ときのその力加減を、二枚の定規をおそるおそる使うようなやりかたで心得ている。それが小学校以来後生大事に抱え続けているコツなのだった。なるほどこれは絶妙な喩えであるというほかない。力を入れなければ二枚の定規はばらばらに動いてしまうし、力みすぎたら思い切り紙を破きそうだ。うまくいったところで、得られるのは平行線というまったく無味乾燥な結果だが、周囲はまちがいなくそれを求めているのである。

「輪をつくる」という連作は、おそらくは大人になってからの回想という設定なのだろうと思う。「学校に来るだけでいい人」になるまで追い込まれながら、なぜだか切迫感のない、それこそ二枚の定規をあやつり平行線を引くくらいの力加減で、歌が綴られている。次に引くのは、別の連作に描かれた、社会人になった主人公の姿。いまだ日々首をかしげながら、そのだれにも(自分にも)失望を与えないちょうどよい力加減を探りつづけている。

はしゃがないように落ち込まないように会うそら豆に似た子を産んだ友に
ここまでが適切な距離と告げるように花束抱えて微笑むひとよ
残業を嫌がらなくなった古藤くんがすきな付箋の規格など言う
納得しましたから、が口癖になる古藤くんの眉間に春のひかりが降りぬ

そんな日々の中に古藤くんという後輩が出現する。古藤くんの言動をすなおに写し取るうたいぶりからは、主人公のあたたかなまなざしがなんとなく伝わってくるようだ。社会のわからなさにつまずきながら、しかしやがては「残業を嫌がらなくな」るくらいに“力加減”も心得てしまう彼にとって、主人公はけっきょくのところ「親切な人」とうつっていそうな気がする。おそらくは似た者同士でありながら互いに微弱な磁力ではじきあうようなこの絶妙な距離感がおもしろい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です